2010年9月28日火曜日

2011年春夏コレクション

 

 
 







                                  はるかきみへ




                         2011 Spring & Summer Collection





                        
                                   「 teard 」

                      




                             
                  日時 : 10月19日(火)、20日(水)、21日(木) 11:00~20:00 

          会場 : 国立代々木競技場 第一体育館 roomsLINK内 JFW支援エリアにて発表します。


                             http://www.roomslink.com/

                
                




2010年9月19日日曜日

心の奥に広がる世界

 

ここ最近ずっと次のコレクション(roomsLINKにて10/19~10/21に展示発表します。)に向け、
もう無理ですってくらい服づくりにいそしんでおります。
体は正直者で、頭や体、心が「もうこれ以上やったらおまえマズイことになるよ」
というところで反応を示してきます。なんだか色々と微妙な違和感があり、特に服に
関することを考えるだけで気持ち悪くなり、もう吐き気がします。

まあいつものことだと思うと同時に、このあたりが今の僕の集中力の限界なのかなと
感じました。もうやんなっちまいます。

そんななのでしょうがないなと思い、土日ということもあり昨日今日と休みにして、
なるったけ服のことは考えないように過ごすことにしました。
それでもってせっかくなので久しぶりにブログを書いたのであります。

ちなみに写真はお盆に友達と行った丹沢湖です。


        

    
         
心には面白いことにちょっとした扉のようなものがあり、その奥には楽しい世界があるようです。

抽象的でありうまく表現できませんが、何かに向かって深く静かに集中し、
心とその人の軸のようなものを合わせると、心の奥にある世界に入れるようです。

その世界には、多分その人の純粋な記憶の世界があり、無意識であり、時間を超えた
経験やら喜びやら悲しみが広がっています。俗な言い方をすると、深層心理とか、
はたまた才能とかに当たるのかな。

そして、その世界にどうにか入り込み、偶然なり必然なり何かいいものをつかみとってきて、
この現実世界にて(僕の場合は)服という物質にしていきます。そうすることで夢を含んだもの、
はっとするもの、人に何かを感じさせうるものができるのだと思います。

当たり前ですが、僕が表現したいものはその扉の先にある世界であり、その世界にいくには
集中力、それを現実で目にみえるものにする精度、表現力が必要になります。

何よりもその世界とリンクしつづけていることが大切なんだと思います。
冒頭にて書いたように、集中には限界があるようで、まだまだ僕自身未熟であり、
不器用であり、何かとスムーズにいかないことが多いです。

楽しいことばかりではありませんが、とにかく自分自身をしっかりと見つづけたいと思います。
そしてそういったうまく言葉にできない自分でもよくわからないものをさがしつづけます。
色々越えていきましょう。     


2010年7月9日金曜日

思い出す

 

よく耳にするフレーズ。
他の誰かと自分を比べて、足りないものを見つけ、刺激をもらって成長。。。
一見、世の中で良しとされているスタンスであり、確かにとても大切なことです。
でもそればっかりじゃつまらないと思うのです。そればかりだとつかれますよね。いちいち自分の足りないところばっかり見てても面白くもなんともない。
だからときには逆のアプローチでいきます。

音楽の神様だとか、サッカーの神様だとか、服の神様だとか。。。
人それぞれ色々神様がいるようですが、僕にとっての神様は僕の外側にあるものではなく、
僕の内側にあるものだと感じています。
自分はあれが足りないではなく、自分は元々、まあ大体完ペキなんだということにして、
ただ、色々忘れてしまっているだけなんだと考えるようにして、深く、感覚的に思い出すために
いろんなことを体験していく。そのために生きている。

例えば僕の場合だと、思い出していくために服をつくっているともいえます。
僕はそうした日々思い出していくなかでみつけたことが時に必然的に、
時にちゃらんぽらんにかさなりあって、この目に見える世界でのひとつの形として、
又はその象徴的なものとして、服が出来上がっていくということです。

たとえばヤバイかわいい柄の生地を見つけたら、そのヤバイかわいいという感覚を
見つけたことは、自分の中の何かを思い出したということ。

別に、生地とか服に関することじゃなくても何でもよくて、何か前向きな感覚を得ることが
大切だと思います。 前向きな感覚がひとつのものさしとなり、そういったことのつみ重ねや、
ときには思い出した感覚同士の一期一会で服ができていくことが多いです。

僕は何々が絶対正しいとか、ひとつの価値観、考え方が全てだとは思いませんので、
冒頭のように自分と自分以外の人間を比べることもけっこうあります。

でも必要以上に比べてしまうと、次第に足りないものばっかり見るようになっていき無駄に
へこむだけなので、基本的には自分と比べるのは自分自身であるとしています。

見つけたこと、思い出したことに一喜一憂している方がなにかと気分がいいしテンション上がる
ので、僕にとってこういった思い出す的なことは自然なことであるんだと思います。 
そして、自然になればなるほど、元々の大体完ペキな自分自身に近づくことができ、
そういったところに神様のようなものを感じるのです。

2010年6月25日金曜日

6月25日早朝

     

  



夜中の3:30からのWC日本対デンマークの試合を観に、近くのスポーツバーに行ってきました。
マジでマジでマジでマジでまじでまじでまじでまじでまじで勇気をもらいました。
ひたすら声を張り上げて応援していました。
知らない人たちと手をつなぎ、抱き合いまくってました。
あついあつすぎる。楽しかったー
試合が終わってから外に出たら空が明るくなっていたので、いっしょに観てた人たちに挨拶して、
とりあえず早朝の新宿を友達二人とさけびながらダッシュしました。歩道橋の階段は
三段跳びです。全力疾走したのも久しぶりでした。

それから見知らぬホスト二人組みとうおおおと馬鹿みたいに喜びを分かち合い、
さっき帰ってきました。

ふだんならこんなことありえないですが、今日のこの瞬間は許されるのです。  
だから思いっきり堪能してやりました。

それはもう嬉しいのに、悔しくなるくらいたくさんの人たちがひとつになっているのでした。
なんて気持ちがいいんだろ   
      
うぐむう 妙にそわそわして寝られん




2010年6月16日水曜日

若き時間の流れ

 

先日ぷらっと実家に帰ったついでに、久しぶりに地元である厚木の街をぷらぷらしました。

前にも書きましたが、僕は神奈川県の西部(秦野市)を地元としています。
僕の地元では買い物は近くの大きめの街である厚木ですませることが多く、生まれつき
何かと縁の深い街なのです。
ちなみに僕は厚木のとある病院でどしゃぶりの中いきなり生まれたそうです。

厚木市の隣には海老名市があり、その2つの市の間には相模川という大きな川が流れています。
あいにくその日はほんの少し雨が降っていましたが、気にせずにその川沿いをひたすら
歩いてみました。 夏のにおいが届きはじめていたこともあり、
どこまでもいけそうな気持ちだったのであります。

昔は生活圏だったので、しょっちゅう用事があっては訪れていた厚木ですが、
今では特別行かなければいけないといったことも滅多にないので、ちょっと駅から
離れてしまうとその場所自体が僕にとって久しぶりの場所となり、前にこの道通ったときはまだ
学生だったなとか、その時は確かあんなこと考えてたなとか、自然と心に浮かんでしまいます。

同時に、それはちょっとした潤いを僕に与えてくれます。
今は服ばっかですが、あの頃は色々、あれやこれや悩んでたなと、今とはまたちょっと違った
潤いを取り戻すのです。

話はかわりますが、ちょっとまえに友達と時間の感じ方についてあつく語る機会がありました。
年齢をとるにしたがって、時間の経ち方が早く感じるようになるのはなぜかということ。
たしかに僕も昔に比べて時間が経つのが早いなーと思うのです。一週間なんてあっという間です。

一般的な意見としては、時間に追われることが多くなる、とか、自分の生きてる年数との相対的な
対比(例えば10歳の人の1年の感じ方は20歳の人の1年の2倍といったかんじ)などが
挙げられますが、僕が面白いなと思った話は、 「だんだん悩むことが少なくなるから」 
といったことでした。

だんだん悩むことが少なくなる。もう少し具体的に説明すると、
人それぞれ色々な経験をしていき、生きていく中でおこる様々なことが、その人の中でじょじょに
パターン化できてきて、特に人間関係など、いちいちあれこれ悩まなくても大丈夫に
なるからだそうです。

ある意味自分を守るために。心が強くなるというか。。
こーいうときはあーだから、あーいうときは経験上こんなかんじだと思われるから
大丈夫、しょうがない。。などなど

たしかに昔はささいなこと、友達や他人のちょっとした行動が気になったり、悩むことが多かった。
今の僕なら気にも止めない、むしろ笑いとばすようなことで。

はじめは時間の感じ方と悩まなくなるといったことの関連にイマイチしっくりこなかったのですが、
その日たまたま会った知り合いに同じ質問をしたら、あんまり悩まなくなるからかな、と全く同じ答え
が返ってきてびっくりし、ちょっと真剣に考えてみたのでした。

今現在、好きに服をつくって、服のことばっか考えて生きているわけで、もちろん僕が望んでそう
なったわけであります。それに、なんだかんだで生きてきて今が一番充実してるように思います。

久しぶりに厚木を歩いていると、厚木の街に毎日のように出没していた頃の僕は、服以外のこと
でも大いに悩んでいたなと、なぜだか胸があつくなるのです。将来やら恋愛やら悩みなんて
人それぞれですが、悩んだって意味ないし、つかれるだけだし。でも、あつくなる。

やっぱりその、今となってはあほくさい無駄なことに、きっと言葉にできない潤いがあるんだと
解釈できます。しかも時間の感じ方にも影響するかもしれないなんて、それはロマンですな。
若さというものの素晴らしさがほんのほんの少しみえたかもしれません。

必ずしも素直に美しく割り切れるものだけでなく、割り切れずにあまった何かにこそ
感じ入るものがある。それが人間。

別にすすんで悩もうとは思いませんが、またひとつ思い出すことができそうです。