2015年2月1日日曜日
最後の
いつから好きなことを仕事にしてそれなりに食ってけりゃいいやとか、 それなりって
言うようになったのか。最初はそんなじゃなかった。
自分の状況とか性質、環境、世間の雰囲気、仕組み、そういうのを知るほど、
というより知った気になって、限界を知った気になって、それでも普通に食えてんだから
それでいいじゃんとか考えてやがる。冗談じゃねえ。
いつも、すごいものつくるとか言ってるくせに、
満足いくところまでやりきれたことがない。
いつも、それなりだ。あげく、時間がなかったとか言い訳にしてる。
この前の写真だってなんだあの中途半端なのは。
かつての俺がライバルだと思ってたやつや尊敬してたやつの何人かは雲の上の存在に。
すげ〜なあ、とか何を見上げてんだよ。冗談じゃねえよ。
ふざけんな。俺の方がすごかったじゃねえか。むかつく、ざけんな。
俺は俺のペースでとか言ってる場合じゃねえんだよ。
今の自分の現状でも作品で張り合うことはできんだろうが。ぜんぶ 俺次第なんだよ。
喉から手が出るほど欲しいのに、ずっと手に入れられないものがいくつかある。
それが手に入らない最大の原因はやはり俺であり、はっきりいって何もかもが中途半端なのだ。 かっこうよくないのだ。 服づくりだけでなく、自己管理も何もかも。
例えば、ずっと欲しかった、好きな仕事をしながらの豊かな生活。これは、
実は俺が毎日それなりではなく、必死に集中して仕事に取り組めば、既に叶い得るものなのだ。
それをダラダラとやっているから生産性が悪くなる。性格や環境のせいにして。
ゆるいモチベーションに流され決断は遅くなる。息抜きする時間もろくになくなる。
ダメな原因はすべて自分。
だから、俺は集中する。集中してそんな自分を突き放す。
生まれつきだらしないからとかいいわけすんな。クソみたいな自分の身から出たサビ。取り返す。
覚悟がまだまだ足りなかった。命を投げ出して掴みにいく覚悟。
次、それなりな服で終わったら、満足いくコレクションにできなかったら、服をやめる。
透明な俺、最後のチャンスだ。俺がこの程度なのは俺のせいだ。これが最後のチャンスだ。
とりあえず殴り書き。まずは早く生産やり終えないと。やってもやっても終わらねえけど終わらせる
2014年4月23日水曜日
2014年2月25日火曜日
裏世界
10年前なくて今ある服のデザイン、価値観、組み合わせ、色々いっぱいあると思います。
だから、
誰がなんと言おうが、これからも沢山見たこと、
それらを自分で見つけていくこともできるというわけです。
それらを探すことなしに満足はなく、僕はそのために生きてます。
かねてより、僕は作る服が自分であってほしいと思っています。
この思い通りになかなかならない現実世界の中で、
それでも自分を通しあがき前
最大限の人間らしさがあり、そこから生まれる可愛さは素直でなく奇妙だったりもしますが、
僕にとっての服の中身の大部分はそこにあり、魂なのだと思います。
素直になんかになってたまるか。
中身中味。
たとえば、みんなに好かれる可愛いらしいおしゃれな女の子がいて、
その子は世間との違和感に悩んでいた。
みんなに受け入れられる可愛いとかオシャレというのは、
こうあることが望ましいという刷
気づいてしまったか
僕は、そういった裏側に押さえ込まれた私が表に出てきちゃって、
それを受け入れてくれない現実
なんかいいなって思うのです
そして、そんな得体のしれない本当の私を知り、
表側の私といっしょに世間に表現している人
勿論、そんな葛藤とかせず、
そういった人は正直正直羨ましいし、とても素敵です。
でも、
全然うまく自分をおさめられなくてとても苦労した。
そもそも僕は馬鹿であり、そのキャラとはかけ離れていて、
いっくらスマートを装ってもすぐにボロが出て、
だから、いつからか
くそ寒い冬の夜、近所のガストでこのブログを書き
かれこれ10ヶ月ぶりにブログを更新している僕ですが、
などの制作がなかなかなかなか終わ
納得いくまでデザインした服を、いざ商品としてきっちり完全に作り上げる重さを痛感しています。
そして、その注文分の制作に追われ、新たに頭の中に浮かんできているものを
14-15AWの服としてなかなか作り出せない歯がゆさも感じます。
ところがどっこい、
次の服へのバネになるのですか
最後に次のコレクション。
まだ確定ではないのですが、展示会を
原宿で4月24日(木)~27日(日)、おそらく大阪でも5月上旬に行います。
確定次第改めて告知しますね。時間がねえええええええええええええええ
んで、
僕が勝手に感じるドラクエみたいな裏の世界でもあり、パラレルワールド的だったり、
異世界、裏側、きれいきたない、表の私と本当の私。なんでもいいや。
ただ、強くいきたい。
ほんの一握りの人にとっては、圧倒的と感じてもらえるコレクションにしたい。
一着一着作っていく中で、僕自身がまだ見たことないものに出会えるように
取り組んでいく所存です。
2013年4月9日火曜日
時間旅行
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ドラえもんでもなんでもいいや。
どこまでも無限に遠くまで見える望遠鏡があるとする。
100光年離れた星は100年前の光が今地球に届き、100年前の姿が今見えているように、
たとえば200光年離れた星、もしくは宇宙空間から地球を見れば、
江戸時代あたりの日本を見ることができちゃいます。
相対性理論によれば、200光年離れた場所から光の200倍の速さで1年で地球に移動すれば 、
199年前にタイムスリップできるそうです( 間違ってたらごめんなさい)。
でも、 重さのあるものは光の速さを超えることはできないみたいなので、
体ごと時間を超えることはなかなか難しいでしょう。
でも、自由に見るだけならできる気がします。
でも、自由に見るだけならできる気がします。
さらに創造を脹らませ、望遠鏡の機能をさらに引き上げ、
50億光年の遥か彼方先にある、青い星をじっくり眺めてみる。
そこには地球とうりふたつのような文明が栄えていて、 美しく整備された自然、綺麗な建物、
たくさんの乗り物、幸せそうな家族、可愛い服を着た子たち、、、
みんな楽しそうに笑っています。 歴史の営みを感じます。
みんな楽しそうに笑っています。 歴史の営みを感じます。
宇宙は無限に広いわけだしそんなことだってあり得るでしょう。 そんな豊かな光景が見えます。
でもそれは50億年前の笑顔です。 まだ地球は生まれてもいない昔昔昔です。
実際には、笑顔どころかその星自体がとっくの昔、 地球と入れ替わり位の時期に
小惑星の衝突か何かで消滅しています。
望遠鏡をとおして見える笑顔やら可愛い服やら素晴らしい文明は、
細かい塵となり宇宙空間を何かの軌道に沿って周っていることでしょう。
もしかしたら地球はその星の生まれ変わりかもしれません。
とりあえず、残っているのは光の記憶のみです。
心には重さがないからだろうか。心の中ではある程度、過去を感じ、 振り返ることができます。
未来を感じることができる。 曖昧ではあるが、時間を移動することができる。
それは当たり前すぎて忘れがちだけど、
時間軸を超えて何かを感じることができるということはすごいことなのだと思います。
前にもブログで書いたことだけど、
心は、体とはちょっと違った光の速さとかを基準にした別の次元に所属しているのかもしれません。
僕が生まれたあのどしゃ降りの雨の朝、 校庭でサッカーやってたあの日、修学旅行のあの瞬間、
楽しかった夏の思い出、色々 打ちのめされてフラフラ最悪だったあの日の帰り道、、、
もちろん建物の中とか空が曇ってるとか大気で、宇宙から見えねーよとかもありますが、
とりあえずそういうのは置いといて、望遠鏡さえあれば、もしくはとんでもない視力があれば、
その一瞬一瞬、宇宙のどこかに見える場所があるということです。
僕のその時々の像は光の速さで移動しながら、
宇宙空間に永遠に存在しつづけることになるってことなのです!!
どこかの人知を越えた神様は、仕事としてか、興味でか、気まぐれかは分かりませんが、
壮大な方法で永遠に色々を記録しつづけているのかもしれませんね。
おつかれさまです。
2013年1月9日水曜日
好きなのに嫌い
ちょっとおそくなりましたけど、あけましておめでとうございます!
明日からいよいよ、はるかきみへ の大阪での展示会が始まります!
大阪。イベントで行ったことはありますが、いつも時間がいっぱいいっぱいでぶらぶらすることが
できず、土地勘がほっとんどございません。知ってる人もあんまりいません。
そんな心細くなってしまうような場所に、すでに僕の服を知ってる人がいらっしゃるというのは
とても心強いことでして、なんだかとてもロマンなことでして、実際に見に着ていただけて、
直接お話しできたりするのかなと思うとテンション上がります。
そんじゃこれから搬入に行ってきまっす!
前回(12/25)のブログで、
このことは次回説明するゼと添えて僕はこんなことを書きました。
『 だがまだ終わりではない。さらに先に進むためには、そんな積み上げてきた大切な大切な
自分らしさすら、壊していく必要もあるようです。』
ではでは、一体それはどういうことなのか。詳しく考えていきたいと思います。
僕の服にはギャザーとかフリルとかレースとか淡い色づかい、アンティーク、ふんわり感、、、
そんなかんじな服はやっぱりすごい好きです。好きなもんはしょうがないべ。
でも、実は嫌いでもあるのです。嫌いなもんもしょうがないべ。
ん、、好きだけど嫌い? どっちだよ!
この、好きなものを好きであると同時に、いつのころからか芽生えてきた’嫌い’という感情。
実は実はじつは、これはものづくりにおいて、とても大切な感情なのであると僕は思うのです。
ではなぜそのような感情が芽生えるのか。簡単にいってしまうと、
自分らしいものをつくりつづけ、より高い水準にしていくことで、
自分らしいもの以外がつくれなくなるからです。
自分らしいもの以上の水準のものを、自分らしいやり方以外でつくる自信がない。
結果、自分らしさに依存するようになってしまう。そんな自分が許せぬ。大体こんなかんじ。
いつのころからか、はるかきみへっぽいものばかりつくってしまっている。 んん、、んんん、、、!
はるかきみへなんだから別にいいじゃねーか! そのとおりです!!
それを目指してきたんだから別にいいんですけど、本能では、変化も求めてしまっている。
同じ場所に居続けてはいけないと、これまでの世界にとんがったナイフをつきたて、
それを切り裂こうとしている。もちろんこのかんじは以前からある感覚ですが、
そんな感覚が最近になって本格的になってるんです。
もちろんこれまでの世界は頑強に抵抗するので、そう簡単に切り裂けなんてしませんけどね。
もうよくわかんねーな。必死こいて見つけてきたはるかきみへの世界に自らとんがりナイフ。
じつはけっこう前から僕の中ではそんな不思議な戦いをしています。マゾよこた。
不思議ですが、これは正しいことだと思います。
表現において、変化は正義です。最近特にそう感じます。
そして、新しさはその一連の中で求めていくべきものであります。
もっと突っ込んでいうと、新しい自分に出会うために表現しつづけている。
たとえばいつかの未来、僕が死ぬころ、築きあげてきた自分の人生全体を通した視点で
見てみれば、
今の僕が新しい自分に出会おうと必死こくことは、より深く自分を知るということだ。
新しい自分自身の感覚を知るということですから。
そのマゾナイフが特に一番気に食わないもんは、おそらくつくりあげてきた自分の世界にドヤ顔
しているやつが嫌いなのではないか。可愛い服だから何なんだよ。そこに本当のお前はいるのか。
まだまだお前は無知だ。生きてる限り満足してんじゃねーよ!!と。 ザクザクぶしゅうう
好きは嫌いの裏返し。嫌い嫌いも好きのうち。ってこういうことでもあるんかなと思います。
表現において、マゾです、僕は。最近特にそう感じます。
新しさとか変化とかそれでいて可愛くとか、はっきりいって難しいですよそんなの。でも、それでも
そこに向かっていくのと、そんな自分を見て見ぬふりするのとでは全然ちがうと思います。
出来上がるモノは、ただの平和ではなくなるはず。
今年、可愛らしくあれという僕の服づくりにおける絶対神のもと、
はるかきみへが好きな自分と嫌いな自分の戦いが、相反する僕の中での格闘が、
素晴らしき明日への服へとつながっていくことを切に願い、服づくりに励んでまいります。
今年一年、また見ててください☆
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