2009年12月31日木曜日

  
       




幼稚園‐電車の運転手さん  
小学校1年‐漫画家   小学校2年‐プロ野球選手   小学校3年‐不明小学校4年‐サッカー選手   小学校5年‐天文学者   小学校6年‐バスケの選手
中学1年から高校1年‐特になし   高校2年から高校3年‐ロックスター
大学1年の最初の一ヶ月‐国連職員   大学1年の夏ごろから‐ファッションデザイナー

これは、僕のその時代時代の夢、なりたい将来の願望を思い返して列記してみたものですが、
かなり色々あったんだなと感じます。 この夢の中でひとつだけ、今の僕にとっても夢であると
いえるものがあります。

小学校5年から6年にかけ、当時の僕は星だとか星団だとか、正座だとか天文、宇宙全般に
とてもロマンを感じておりまして、定期的に友達と計画しては正座早見表を片手に望遠鏡を
覗いていました。

肉眼ではあまりに遠すぎて見えないけれど、星座表で位置を確認し望遠鏡を覗き出会うことが
できた星、星団には言葉にはできない興奮がありました。また、当時の僕は部屋の押入れで
寝ていたのですが、その狭い押入れの天井に星の部分に蛍光塗料が塗られ、暗闇で光る
大きな正座のポスターを貼って、色々と楽しい想像を膨らませていたように思います。

この天文学に代表される、存在はしているのだがよくわからないもの に対するワクワクは
今の僕にとっても(むしろ昔以上に)健在であって、その好奇心は少なからず僕のスタイル、
はたまた服づくりに大きな大きな影響を及ぼしているように感じています。

宇宙の壮大さや、ひとつの空間にたくさんの次元があるだとか、光と時間の関係だとか、
タイムマシーンとか、パラレルワールドとか、はたまた幽霊とか、人の心とか。   
多分あるけどよくわからない世界。

なんていったらいいか、科学的な根拠なんてないけれど、こういうのって案外どこかで
みんなつながっているものなのだと思います。何気にお互いに影響を及ぼし合っている。
この現実の世界とも。

できることなら、体がもうひとつあるのなら思いっきり、心行くまで探求してみたい、見えない世界。

デザイナーである僕にとって、それは夢なのだと思います。
でも、うまく表現はできませんが何かをつくっていくうえで、真摯に生きていくなかで、
そういったものを感じることはできるのです。感じ続けているということはやっぱり、
あるんだと思います。 

なんとしても引っ張り出したい。できると思ってればできる。

近い将来、そこそこいい望遠鏡を買って、時間を見つけてはゆっくりと星の観測をしようかなと
考えてます。

そして遠い未来にはなりますが、アマチュアでもなんでもいいので、高性能の望遠鏡
(可能であれば天文台)を買って、天文学者のように本格的に専門的に星とか星団とか
ブラックホールとか宇宙とか次元とか空間とかを探求したいなと感じています。
今の僕にとってそれは夢ですが。

アトリエの庭からは都庁が見えます。毎日タバコを吸いながらボーっと眺めているのですが、
いつもは夜でもポツポツとついてる明かりが今日は真っ暗です。一年で最後の日。 

どうかよいお年を





2009年11月7日土曜日

可夢偉ィィ

 

 

           小学5年のころ、兄がF1を見てたことに影響を受け、又、いつの間にか名前が面白いという

          理由だけで応援していたミカ・ハッキネンの大ファンになっていたこともあり、今でもF1は大好

          きで魅せられつづけています。

           ただ今はハッキネンほどアツク応援できるドライバーがいなくって、なんだかんだで僕はミーハ

          ーということもあり、日本人ドライバーが活躍するとテンションが上がりまくります。 ミーハー笑。

          



           11月1日に決勝が行われた最終戦のアブダビGP。前戦のブラジルGPにひきつづきトヨタから

          は負傷したレギュラードライバーのグロックに交代して、リザーブドライバーの小林可夢偉がドラ

          イブしました。そこで彼はやってのけたのです。スタートでフェラーリライコネンを抜いてその後も

          きっちり順位を守りきり、チャンピオンのバトンを追い掛け回してオーバーテイクしたり、デビュー

          したてのシューマッハを彷彿とさせる要所要所を抑えた、 冷静かつアツイ走りをして6位入賞。

          デビュー2戦目の日本人が魅せてくれたのです。今年のF1はシーズン中テストができないので、

          マシンに慣れてないなど色々不利な状況であったにも関わらず。         急に舞い降りた、

          たった二回のチャンスを、最大限自分の力を発揮し、特にアブダビではブラジルでの反省からの

          学習をしっかり活かし、ブラジル、アブダビ2戦とも man of the match に輝いたのでした。



           とまあ、世界中のファンが彼の走りに注目し、胸を打たれたわけです。たくさんの人が彼の来年

          のトヨタのレースドライバー昇格と今後の活躍を予想したことでしょう。   そんな凄いレース後の

          インタビューで彼はなんと 「資金がないので実家の寿司屋を継ぐつもりでいました。」 と語って

          いたのです。確かにモータースポーツはお金のかかりすぎる世界で、特にF1なんてもう半端ない

          どころではない。そしてモータースポーツ人気の低迷している日本ではスポンサーもつかず、不利

          である。レースシートを獲得しても、F1はヨーロッパ主体であるため、チーム内で差別を受けまとも

          にレースもできないなんてこともよく起こっているようです。



           そんな中で奇跡的に舞い降りたチャンスをしっかりものにした。超ハイレベルな中で。

          かっこいいドライバーだまじで。本当に勇気をもらったんです。たくさんの日本のファンが、夢にまで

          見た日本人ドライバーのF1での活躍を想像したと思います。トヨタという日本主体のチームなら差別

          されることもないだろう。すげー楽しみだ。




           その二日後、トヨタF1撤退発表。すげータイミング。いやいやいやいやいやー     

          撤退はしょうがないと思います。不景気とか株主とか派遣切りとか色々大変なんだと思います。

          優勝はできなかったけど代表の山科さんも本当によくやってくれたと思いますし、やれるだけやっ

          た上での結論なんでしょう。だから撤退に対して文句をいう気なんてさらさらありません。でもなん

          なんだろこのかんじ。何をしてもどうにもならない、できうる最高以上の才能を見せてもどうにもな

          らない。少なくとも日本では最強レベルでありながら、レースをすることすらできない(彼にはスポ

          ンサーがついていないので、F1のひとつ下のGP2というカテゴリーにも資金不足で参加が厳しい

          そうです)。あんまりだ。




           この先 可夢偉 はF1に残れるのか、寿司屋を継ぐのか、別のカテゴリーでレースを続けるのか

          本人にもわからないことだと思いますが、最近彼が起こした奇跡的なアツイ現象とトヨタ撤退が、

          結果的には彼にとってよかったのだと心から思えるような道を歩んでいってほしいと切に願います。

           

           

2009年11月5日木曜日

基本と応用


      

        いつも仕事をしていくうえで大事にしていることは、基本と応用の相互作用を意識することです。

       僕にとっての基本とは決して不変のものではなく、現時点での基本を応用しつづけることで常に

       少しずつアップデートされていくべきものであります。



        その人の培った技術、感性、人間関係、環境の変化、社会全体の移り変わり・・・などなど挙げ

       たらきりがないですが、一見掴み所のない、その人自身と世の中全体の鏡のような関係?を真摯

       に見極めることができれば、それは立派な個性となると思います。      

       その個性をその人のもつ基本にいいかんじにのせていき、より深く、ときに浅く、あらゆる角度から

       新鮮なものをつくりあげ、基本も進化する。

        その一連の作業を行う力を応用力というのだと思います。

        今まで大体の場合、応用なければ停滞し、基本を無視すれば安易なものに仕上がりました。



        今回のコレクションではその一連の流れが、以前と比べて悪戦苦闘することなく、わりかしサラッ

       と行えたと思います。それは僕のもって生まれたセンスとかでは決してなく、基本と応用を常に意識

       して行ってきたことで色々と引き出しのようなものが増えたことによるのだと思います。満足のいく仕

       上がりになっていました。



        次はここからスタートです。今の満足を大事にしつつ、そしてそれに甘えることなく進化を求めてい

       きます。コレクションをご覧になってくれた方々、ありがとうございます。

      

       

2009年9月1日火曜日

2010年 春夏コレクション


 
 



                           はるかきみへ




                   2010 Supring & Summer Collection




                         
                            「かさなり」
                             volume 1






                             
           2009.10/20-10/21 青山ベルコモンズ10F 展示形式にて発表します

              ご来場案内詳細 : http://www.exhibition-style.com/
 
 

2009年8月27日木曜日

なんて気持ちのいい朝だったんだ



     徹夜で仕事をし、朝の5時過ぎにだいぶ疲れたなと思いなんとなく外に出てみたらとても気持ちのいい

   天気でした。気候によって春の匂いや夏の匂いなど色々な匂いをかんじることができますが、今日の朝は

   日曜日の朝(木曜日でしたが)、または若干半袖では肌寒かったこともあり運動会の日の朝の匂いといった

   ものをかんじました。なんだかとてもとても開放的な気分になり疲れもどこかにとんでしまい、そのまま二時間

   程自転車で中野や杉並に散策にでかけました。こういった日はあらゆるものに対して許容できるようになり、

   特に驚いたことに今までずっと毛嫌いしていたアーティストの音楽がひっくりかえって好きになるという素晴らし

   い科学反応も僕の中で起こりました。今もその音楽を聴いています。

    この開放感、心地よさ。できることならずっと維持していける体をつくりあげていきたいと思います。地位名誉

   云々よりもまず自分ありきであり、いい気分でいれているかが一番大切なんだと思います。生きているかぎり

   色々な事、ものに遭遇しますが、そのひとつひとつに良いイメージをもてるか。例えばちょうどいいタイミングで

   信号がかわってスムーズに横断歩道をわたることができたありがとさん、ちょっと無理やりなかんじもしますが

   そんなんでもいいんだと思います。少なくともそんなかんじで生きていけばより多くのものを吸収でき、より多く

   のアイデアを生み出すことができ、より質の高い表現につながるのだと思います。また、そうすることで無駄な

   ネガティブ感どこかにいき、良い流れも自分でつくり出せるのだと改めて感じました。
   


 


 

2009年8月6日木曜日

京都伊勢丹


 


   
   
      今期よりJR京都伊勢丹の解放区にてはるかきみへの服をお取り扱い頂けることとなり、昨日8/5

     より店頭に並んでいることかと思います。大変嬉しく思っています。ようやく仕事にひとくぎりつき、

     昨日は久しぶりにゆっくりとした時間をすごしました。ずっと観たかった映画があり、又、体を動かした

     かったこともあり、自転車で1時間ほどかけ新宿のアトリエから豊島園にある映画館に 行き、レイトショー

     を観てきました。夜(特に夏の夜)の街を自転車で走るのが大好きでして、その間色々なことが頭に流れ

     ます。




      何もない、まともなアトリエすらなく、温泉があり山に囲まれた所で、どういう服をつくればいいのか

     のかもよく分からず、しかも思いのほかやる気もあまり出ず(服と自分自身をイマイチ結合できなかった

     ため)、よそ様に就職する気もおきず、でも服しかなく、自分でやらなきゃいかんのだ、というよく分から

     ない状態でこのブランドをはじめ、色々な新たな出会いもあり、ようやく僕自身のもつ流れがみえはじめ、

     それを服に乗せることができてきて、”つくる”という行為において童心にかえったようなあの楽しさ、

     一体感といったものを取り戻すことができてきて、とてもとても嬉しく感じています。

      特に最近の大きな発見は服には服の世界があり、人には人の世界があるということです。もちろん

     服の世界は人が歴史の中で培ってきた結晶で形成されているので人のもつ世界と大きく重なって
  
     いるのですが、いいかえれば重なっているだけなのです。あたりまえのような話ですが、それゆえに

     例えば人が虹が好きだからといって服に虹をそのままつけてもかわいいかとといったら服としてかわ

     いいとも言い切れません。あたりまえですが、虹が好きという自分を服の世界に転化する力が必要

     なのだと思います。その力は服をもっと知りたいという思いや服そのものを感じる心から生まれるの

     で、もっともっと服として?生きていきたいと思います。そして、何が好きか、何に心打たれるかといっ

     たことは人それぞれなので、そこに個性があり、もっと自分をほりさげていき、より服として楽しいかたち

     で僕自身を服に投影していきたいと思います。


      今、直接出会ったことのない方が、僕のしらないところではるかきみへの服(このブログやHPも含めて)

     を見てくれている人がいる。どうしてもこの感覚をうまく言葉で表現できないのですが、これってすごいこと

     なんだと思います。具体的に誰々さんが見てくれたなんて分かりませんけども、そういうのってすごく嬉しい

     のです。そのひとつひとつが嬉しいんです。


      
     
      他にも色々ですが、大体そんなかんじのことを夜中の東京の街で自転車に乗りながら考えていたように

     思います。とても楽しい時間でした。今日からまた次のコレクションに向けて本格的にシフトしていきます。

 
     もっともっといい服がつくれるに違いない。楽しみだ。

      

 

2009年7月19日日曜日

二重の虹

 





   言葉になりません

   素敵な誕生日プレゼントありがとうございました。

2009年7月16日木曜日

虫と僕との距離

 





 アトリエにちょっとした庭がついてるんですが、この前草むしりしたばかりなのにもう雑草が生えてきて

しまっています。それでもってじっくりと庭を観察してみるとけっこう虫がたくさんいるんです。それはもう

アリやらダンゴムシやらシャクトリムシやら謎の幼虫やら色んなのがいるんですけど、ふと気がつきまし

た。僕は虫がとても嫌いになっているようです。なんか嫌悪感というか、凄く触りたくないと感じてしまうん

ですよね。。。



 そこで   クワガタ カブトムシ カナブン セミ チョウチョ トンボ カマキリ テントウムシ カミキリムシ 

        アリ ダンゴムシ ナナフシ カメムシ シャクトリムシ バッタ キリギリス コオロギ スズムシ

        タマムシ カタツムリ ナメクジ アオムシ クモ ゴキブリ カ


 以上の代表的な昆虫を、僕の子供時代と現在の2期で好き嫌いを分類することで、僕の虫に対する感じ

方の変化を探ってみました。

       
      


  *子供の頃
   

 好き(触れたいと感じる)       クワガタ カブトムシ カナブン セミ チョウチョ トンボ カマキリ テントウムシ 

                       カミキリムシ アリ ダンゴムシ ナナフシ カメムシ シャクトリムシ バッタ 

                       キリギリス コオロギ スズムシ タマムシ カタツムリ ナメクジ アオムシ 

 
 嫌い(触れたくない、気持ち悪い)  クモ ゴキブリ カ





  *現在


 好き(触れたいと感じる)       クワガタ カブトムシ セミ チョウチョ トンボ カマキリ タマムシ 


 嫌い(触れたくない、気持ち悪い)  カミキリムシ アリ ダンゴムシ ナナフシ カメムシ シャクトリムシ コオロギ

                       スズムシ ナメクジ アオムシ クモ ゴキブリ カ


 特に何も感じない            カナブン テントウムシ バッタ キリギリス カタツムリ
 




子供の頃と比べて今の僕は虫が嫌いになってるのは一目瞭然です。そりゃあ大人になれば虫嫌いになる

のはごく普通のことなのかもしれませんが、ちょっと待ってください。その変化はつまるところ、僕と虫との間

に距離ができてしまったということなのです。もっと言ってしまうと、僕をとりまく世界全体と、人間社会に属す

る僕との間に歪みが発生したということです。確かに子供の頃は、ごく自然に虫を捕まえ、かわいがったり、

殺したりしました。ごく自然であり、虫と一体感があったのです。知らず知らずのうちに人として生きていく中

で、「この虫は良い虫、あの虫は悪い虫(害虫はしょうがないかもだけど)」と(ある意味)洗脳されてしき、距離、

歪みが培われていったんだと思います。なんかすげーヤダ。

 もちろん昆虫だけでなく、こういった歪みは無数に存在しています。大人に比べて子供は純粋に楽しく、自由

(世界とつながってる)であり、柔軟な感性をもっているのは、大なり小なりこういったことからであり、歪みが

少ないんだと思います。

 だけれどもそんな人の歪みを全部が全部否定しているわけではありません。歪みが人間らしさでもあります

し、そんな歪みで社会は形成されているわけですから、良い面もたくさんあります。嫌いになったらそれはそれ

でアウトです。ただ、子供のようにくもりない目で世界を見つめ、つながり、純粋に楽しくいることがたくさんのア

ツいアイデアなどを格段に引き寄せやすくすることも事実だと思います(最近気づきました)。この愛すべき歪ん

だ人間社会の中で、人の胸を打つような服をバンバンつくっていきたいと思います。


 ようやく前コレクション受注分の生産にメドがつき、次のコレクションの服をつくりたくてつくりたくてウズウズし

ております。僕は自由だ。今年の夏は楽しくなりそうです。キャンプ行くついでに昆虫採集もしてきます。 

  
   
 
 

2009年6月21日日曜日

ラムネアイス


 
 

 


 1,2ヶ月程前からファミマで見かけるようになり、最近の朝はこいつを食べて始まることが多いです。

おおげさではなくもう30本位頂いています。今年の夏はおそらく50本位食べるんじゃないかと思います。

いい感じにやすっぽいガリガリ君ぐらいの大きさの、いわゆる昔よく食べたラムネバーです。値段も62円

とかっこよく、なんとなくポリシーというか、男気のようなものを感じます。

 おいしいですよ。 


2009年6月11日木曜日

世界とひとつに

 

 





 裁断バサミです。

 もうかれこれ文化に入学したときに購入したものだから8,9年程使用しております。見てのとおりさびております。

これ以上ないほどさびていて、7年位前からこの状態なんですが、さびるのもいくところまでいったようで、7年位前

から切れ味には変化はないように思います。よく仕事道具をきちんと扱えない者は良い仕事なんてできねーよとお

っしゃる方もいますが、知ったこっちゃないです。だってしょうがないじゃないですか、僕は根本的にずぼらでだらし

ない人間なんですよ。とはいってもそれは僕自身にとってのことであって、社会ではだらしないやつでは不適合な

面が多いので、僕はどうにかこうにかあの手この手でだらしなさを克服できるように意識してきたため、少しはまし

になりました。でもふとしたときこのさびたハサミを見ると、やっぱ僕ってだらしない性分なんだろうなと感じてしまう

のです。結局砥ぎにも出してないですし。でもそんな自分に悲観的になるなんてことはありません。

 そりゃあ、あたりまえのあたりまえの、そんなこといちいち書くなよってかんじのことですが、世の中にはたくさん

の色々な性分、感性、資質、十人十色の人たちがぐにゃんぐにゃんに生きているわけで、そこに少々お堅い常識

やルールの枠のようなものがあってやっとこさ社会は成り立っております。別にそれは就職して社会人になってか

ら云々といったことではなく、高校やら大学やらでもルールというか暗黙の了解というか、そういうのは少なからず

あったように思います。そんなルールは世の中にとってとてもとても大切なものなんですが、反面、自分の言葉で

ものをしゃべりづらくさせてしまっているのか、ありがちな話ですがその人の自分というのがよく見えない人が多い

ように思います。そういう方々にどっかで聞いたことあるような常識やら格言を偉そうに語られても正直つまんない

んですよね。流されてしまっているんですね。また逆に、アンチなんちゃらってかんじでそういうルールやら常識に

徹底して反抗する人たちもいます。個人的にはこっちの方はけっこう好きです。挑戦を生きがいにするってやつで

すか。かっこいいですね。

 でも今の僕は抵抗の精神ではなく、流れるように生きていきたいと思います。流されるとは違いますよ。社会だ

ろうが常識だろうがお金だろうがアンチだろうがルールだろうが男だろうが女だろうが僕自身のもってる人間性だ

ろうが性分だろうが得意不得意だろうが世界観だろうが、全て平等にとらえます。全てに良い面があるはずです

から。美しいものも汚いことも嬉しいことも嫌なものも全部(と言いきれればそれこそ究極ですが...)僕の味方です。

常識やお金は何ものにも変えられないものさしになりますし、そこにいくらでも世の中って映し出せるわけで、素晴

らしいじゃないですか。いちいち抵抗してても疲れるだけです。そして、自分に降り掛かる楽しいことも辛いこともひ

っくるめて、全体でみたら有意義なことなんだと思います。ひとりでベラベラと何をわけ分からんこと語ってんだこい

つはと感じる方もいるかと思いますが、適当に読み流してくださいね。今のぼくにとってこんなかんじのことが世界

とひとつになるということなのではと感じるのです。そして、そういう中から生み出していく服に興味があります。

まあ楽しけりゃそれでいいじゃないですか。僕は流れます。

 冒頭の裁断バサミのように、仕事道具ってその人を映し出す鏡とはよくいいますが、まことにそのとおりだと思い

ます。なんか名前も書いてあるし。しかも刃に。ありえねー。さびてるけど切れなくなるまで使い尽くしてやりますよ

こいつを。だらしなさって人間味があっていいじゃないですか。こいつでいい感じにだらしなさのある服をつくりつづ

けます。

 


 

2009年5月22日金曜日

あいまい

 曖昧っていうと はっきりしていない とか どっちつかず、中途半端 とか、

一見ネガティブな印象をもたれている方が多いのかなと思いますが、

僕はいたってポジティブにとらえております。


  ありきたりな表現になりますが、人ってきわめて曖昧な生き物ですよね。

泣いたり笑ったり怒ったり。 普段優しい仏のような人が、きれたらメチャメチャ怖かったり。

雨は嫌いだけど、なんか今日は雨が心地良いなとか。

ひとつの 物、事、人 に対して好きだったり嫌いだったり優しかったり怖かったり。

  ポジティブなりネガティブなり色んな要素が重なって あいまい になるのだから、

それってなんか深くていいじゃないですか。ネガティブだってポジティブになりえますし。

あの人のことを愛してるからこそ憎いとか、なんだかなあとは思いますがかなり深いですよね。

      

 かといって曖昧じゃなきゃいけないってこともありません。それはそれで自分に対して

あいまいっていう制限をかけていることになりますから。

 はっきりはきはきと生きるのもいいですね。

     

      

ブログ

 

 ちょっと前までブログをやる気は全くなかったのですが、

なんでだか急に書きたくなってきたのではじめることにしました。

 無意識なり意識的なり普段いろんなことを思い浮かべて生きているわけですが、


そういうのを気軽にメモしていくかんじでこのブログと関わっていき、服にいいかたちで

フィードバックできたらなと思います。