裁断バサミです。
もうかれこれ文化に入学したときに購入したものだから8,9年程使用しております。見てのとおりさびております。
これ以上ないほどさびていて、7年位前からこの状態なんですが、さびるのもいくところまでいったようで、7年位前
から切れ味には変化はないように思います。よく仕事道具をきちんと扱えない者は良い仕事なんてできねーよとお
っしゃる方もいますが、知ったこっちゃないです。だってしょうがないじゃないですか、僕は根本的にずぼらでだらし
ない人間なんですよ。とはいってもそれは僕自身にとってのことであって、社会ではだらしないやつでは不適合な
面が多いので、僕はどうにかこうにかあの手この手でだらしなさを克服できるように意識してきたため、少しはまし
になりました。でもふとしたときこのさびたハサミを見ると、やっぱ僕ってだらしない性分なんだろうなと感じてしまう
のです。結局砥ぎにも出してないですし。でもそんな自分に悲観的になるなんてことはありません。
そりゃあ、あたりまえのあたりまえの、そんなこといちいち書くなよってかんじのことですが、世の中にはたくさん
の色々な性分、感性、資質、十人十色の人たちがぐにゃんぐにゃんに生きているわけで、そこに少々お堅い常識
やルールの枠のようなものがあってやっとこさ社会は成り立っております。別にそれは就職して社会人になってか
ら云々といったことではなく、高校やら大学やらでもルールというか暗黙の了解というか、そういうのは少なからず
あったように思います。そんなルールは世の中にとってとてもとても大切なものなんですが、反面、自分の言葉で
ものをしゃべりづらくさせてしまっているのか、ありがちな話ですがその人の自分というのがよく見えない人が多い
ように思います。そういう方々にどっかで聞いたことあるような常識やら格言を偉そうに語られても正直つまんない
んですよね。流されてしまっているんですね。また逆に、アンチなんちゃらってかんじでそういうルールやら常識に
徹底して反抗する人たちもいます。個人的にはこっちの方はけっこう好きです。挑戦を生きがいにするってやつで
すか。かっこいいですね。
でも今の僕は抵抗の精神ではなく、流れるように生きていきたいと思います。流されるとは違いますよ。社会だ
ろうが常識だろうがお金だろうがアンチだろうがルールだろうが男だろうが女だろうが僕自身のもってる人間性だ
ろうが性分だろうが得意不得意だろうが世界観だろうが、全て平等にとらえます。全てに良い面があるはずです
から。美しいものも汚いことも嬉しいことも嫌なものも全部(と言いきれればそれこそ究極ですが...)僕の味方です。
常識やお金は何ものにも変えられないものさしになりますし、そこにいくらでも世の中って映し出せるわけで、素晴
らしいじゃないですか。いちいち抵抗してても疲れるだけです。そして、自分に降り掛かる楽しいことも辛いこともひ
っくるめて、全体でみたら有意義なことなんだと思います。ひとりでベラベラと何をわけ分からんこと語ってんだこい
つはと感じる方もいるかと思いますが、適当に読み流してくださいね。今のぼくにとってこんなかんじのことが世界
とひとつになるということなのではと感じるのです。そして、そういう中から生み出していく服に興味があります。
まあ楽しけりゃそれでいいじゃないですか。僕は流れます。
冒頭の裁断バサミのように、仕事道具ってその人を映し出す鏡とはよくいいますが、まことにそのとおりだと思い
ます。なんか名前も書いてあるし。しかも刃に。ありえねー。さびてるけど切れなくなるまで使い尽くしてやりますよ
こいつを。だらしなさって人間味があっていいじゃないですか。こいつでいい感じにだらしなさのある服をつくりつづ
けます。