2011年4月25日月曜日

表現における満足

先日、このブログで書きましたが(2/23 "今を生きる、時をこえる"の記事)、

人それぞれしょぼかろうがかっこよかろうがうんこだろうが、
どれだけ見えてるかの違いはありますが、各々世界をもっています。
こんな僕でも自分をみつめていることで僕自身の世界はじんわりみえてきます。

そして、そのみえてきた世界をひろい上げ、そいつといっしょに服とか絵を考え、表現していく。
どこまでやれてるのかは分かりませんが、いつも大体そんなかんじにやってます。

そうしてデザインし、納得し、つくったものは素晴らしく、理想的であり、大変満足である、
はずなのですが、実際のところはつくってもつくってもその時は納得してつくってるのですが、
ある程度満足もしているのですが、時間が経つにつれて満足できなくなってくる。ときにはなん
だかむかついてくることすらある。それで、より満足できるもの、よりいいものをつくろうと気合い
入れる・・・を延々と繰り返すといった具合です。

こういうかんじの人って、僕以外にもたくさんいるんじゃないかと思います。
自分をフルで出して、本気で取り組めば取り組むほど、客観的にみたら前よりも良いと
思える仕事をしているにも関わらず、なぜだかよくない所とかがたくさんみえてきて、
自分の仕事になかなか満足することができない。

確かに、より良いものをつくっていく、より良い仕事をしていくという姿勢は基本であり、
大切なことです。満足できないからこそより深い満足を目指し、その繰り返しの果てに
ゾッとするようなあついものができることが多いのだと思います。

では、なぜ、満足できないのか。

これまでは「そういうもんなんだろうな」ということで、なんとなくすましてきましたが、
せっかくなので深く考えてみました。

まずパっと当たり前に考えついたことは、まだまだ発展段階であるがゆえであり、
表現力不足や技術力不足によるものがあります。
そりゃそーだ。未来の自分の能力と比べると、今の自分はどうしても未熟な部分が
ないわけありませんので、満足できない大きな要因のひとつであるといえそうです。 
(でも、今のほうが未来より良い部分も必ずもあります)

そして、 これはああっ!! と思えたもうひとつ。

それは "僕が僕自身に対して不満足だから" という答えをみつけました。
いつも楽しくだとか、ポジティブにだとか言っててあれですが、特に自分のブランドはじめた頃から自分のことを無駄に悪くみるというか、変にダメな人(実際だらしないですが)とみるくせが
あります。

自分のことをイマイチ好きになれない。
そんなやつがいっちょまえに自分を表現したもんだから、そんなできあがった
自分にちかいものに対してどこか満足できないというのを感じ取ってしまうのかもしれない。
ひとりで。

でも、その満足できないことが、より良いものを生み出そうとする原動力でもあるのです。

逆に、自分のことが大好きで、自分に満足している人は、そんな自分を表現できたとき、
とても満足できるのだろうなと思いました。あくまで想像ですけど。

なるほど、満足できないからといってそれが必ずしも悪いということではなく、
より自分を自分に対して表現できているということなのかもしれない。
こんな僕が自分という中から何かを表現していくかぎり、もしかしたら一生満足することが
できないのかもしれない。一生、まだまだだ、より良いものより良いもの・・・
とか考えつづけなければならないのか。

大いにけっこう。理屈ではない。
その時々、一生懸命に自分を表現しようとすることが大きな一歩であり、喜びであり、
大切なことなのだ。うっしゃああ