2012年7月28日土曜日

リアル

 








僕の普段の生活です。

朝 マックかドトールかどこかのカフェで必ずコーヒーを飲み気合を入れ、
テンション上げながら服のデザインを考える。 おっさんひとり朝からハイテンションだぜ!!

そして仕事。

最近は生産期なので、型紙やら自分で切ったり縫ったりやら、指示書やら、
とにかくたくさんつくってます。
僕の服はふざけんな細かいので、それはもう混乱してきて色々と発狂しそうになることもあります。

昼。 僕は食べると眠くなる習性があり、昼ご飯は食べず、アイスとかですませることが多いです。

さらに仕事。たまに休憩で近所を散歩。マレに色々いやになってそのままどこかに
遊びに行くこともあります。
そんでもって夜から夜中、ぶっとおしで仕事。仕事仕事。仕事だぜ。

夜中2時位に再び近所のマックに行き、夜中の妙なテンションとともに
コーヒー飲みながらデザインなどをする。
デザインは楽しいです。夜中はなぜだか妄想が膨らむのであります。妄想の海を泳ぐのだ。
ちなみに僕は、水に浮くことはなんとかできますが、泳げません。

晩ご飯は一応健康に気を使い、ご飯と魚系と温泉卵と豆腐&納豆。
メニューは面倒なので大体毎日いっしょ。
たまに外食もします。まあ、ぶっちゃけけっこうなんでもよろし。大体おいしい。
それからシャワー浴びて、寝ながら服的なこと考えてるか携帯いじってます。

デザイナーだけどいつからか自分の着る服には全く興味なし。なぜだ。
楽な格好ならなんでもいい。
髪の毛が鬱陶しくて思いきって坊主にしちまおうかと思ったくらいだ。しないけど。

趣味はその辺をぷらぷらすること。きもだめし系。自然系が好き。釣りが好き。廃墟好き。
気持ち悪い妄想が好き。ど田舎に望遠鏡で星を見たい願望あり。
ちょっとロマンチックなおっさんです。F1も好き。

かっこいい趣味がひとつもないじゃねーか。
なぜこうなった。

改めて自分の生活を考えてみる。なんなんだろうかこれは。
デザイナーってもっとおしゃれで華やかだろ。
こいつは服やってればなんでもいいのか。

ぶっちゃけ、なんでもいいのです。

服(をつくること)以外、まともに興味のあるものがない。
デザイナーは感性を磨くために色々なものに興味をもって色々見て体験して。。
とか思われることもあるかもですが、
困ったことにほとんど興味の湧くものがありません。興味のないことなんてやってたまるか。
服づくりさえやれればなんだってかまいません。もう死んでもいいかなとか思う。死なないけど。

全部服にあげましょう。だからもっとすんごい服をつくれるようになります。
こんな、服やってなきゃクソクソクソみたいな男ですが、はるかきみへ の服が好きだと
言ってくれる人がいる。
そういう人たちを裏切るわけにはいきません。

それにしても僕はなんでこんななのか。
僕自身がもっとおしゃれで、器用な人間であれば、もっとおしゃれで器用なブランドに
なっているでしょう。

僕自身がおしゃれで器用な人間でないから、その分、もっと可愛い服をつくってやるのです。
おしゃれで器用でなくていいから、その分、もっと自分に正直に生きるのです。
僕みたいなうんこ野郎はもっと自分剥き出しでいかないと、
本当のレベルでのおしゃれで器用な人たちに負けちまいます。

これが色々自分と世の中と向かい合ってきた結果なのだ。 それだけの話です。
この世の中、生半可なことは、基本通用しない。
だから特別可愛い服をつくる以外、僕に価値はないのであります。



 

2012年7月12日木曜日

この世とあの世~みえない世界~

 





死んだらどうなるか。考えてみた。

まあ、特に何もないのだろう。死んだら意識がなくなり、終了である。


でもそれは僕にとっては真実ではない。

理由は簡単。 それではつまらないからです。

想像力のない、ただのつまらない一般論のひとつである。そんなのはどうでもよろし。


僕はあの世だとか宇宙だとか次元だとか時空だとかパラレルワールドだとか、幽霊だとか、

光の速さに近づくほど時間が止まるだとか、最近だとヒッグス粒子だとか、

そういう人智を越えているようなよくわからない、解明したくてもなかなかできない、不思議なものが大大大大大好きでして、

思い浮かべているだけで最高にワクワクします。


そんな僕はいつのころからか、特に本気で服をつくるようになってから、

あっちの世界や異次元、宇宙、幽霊、はたまた人の心・・・

それらひっくるめて、みえない世界。心って、感情って、気持ちっていったい何なんだろうか。 

この、みえない世界っていったいなんぞやと、きっとステキな秘密があるにちがいないと、

勝手に考えるようになりました。


どうやったらそれらをつくる服たちに入れることができるのか。
 

想像をすることは自由であります。そして、それが楽しいのだからしょうがない。だから、

いつものごとくワクワクしっくりくるように、勝手に理屈をつけては好きなように想像していました。

自分の経験などと照らし合わせ、こんなかんじだったらなんとなく納得いくし面白いなといったかんじに。

そしてそれこそが僕にとっての真実であります。思いっきり想像力を働かせるのであります。


そんな横田的解釈の ”みえない世界” を、ざっくばらんに当ブログにてまとめてみることにします。



ずばり?みえない世界とは、感情とか記憶でできた世界だと思います。
死んだあとに行く世界も同じようなかんじです。

まず、僕たちが暮らしているこの世、現世を、物質が基準の世界であると仮定します。 
物質、つまり質量のある世界。

みえない世界はその逆なのです。物質のない世界。質量というリミッターのない世界。
つまり、
今僕たちが暮らしているこの世界が物質 + 記憶感情だとしたら、
見えない世界は、記憶感情オンリーの世界、ということだ。

感情と記憶だけ?で成り立つ世界。 だったら面白い。
そして、その世界には今も片足つけている。心の中とか夢の中がそれです。
そして、この世の中のよくわからない不思議なこととか、ワクワクすることのたくさんは
その世界にあるんだと思います。

なんせほとんど感情と記憶だけでできていますからね。自由すぎる世界です。
死んだらこの世に魂だけ抜け出るんじゃなくて、記憶と感情オンリーの、
いわゆるあの世、見えない世界にワープしていくのです。

さらにつきつめてみる。

光と影があるように、世の中は対立するものどうしで成り立っています。
あっちの世界とこっちの世界は合わせ鏡のようにかさなり合っていて、お互い影響し合っている。
影響し合っていますが、合わせ鏡なだけに、色々ほとんどが真逆になります。
逆ということは、見えない世界は時間とかもない世界かもしれない。

僕たちの暮らす世界とは逆で、光の速さが基準ということもあり得るのではないか。
質量がないということは、感情や記憶は光に近い存在であり、光の速度が基準なのかもしれない。ということは、
時間という概念もなくなるか、もしくは時間に対して自由になるかもしれない。
僕が暮らす物質世界にいても心の中ではある程度、時をさかのぼることができます。
つまり心の中ではあっちの世界とつながっているわけです。 ヤバい、おもしろい。

なんだかマニアックなかんじになってしまいましたが、
そんな不思議で楽しい?見えない世界とたくさんうまくつながることで、
色々な発想やエネルギーを頂き、僕自身とうまく絡み合わせて服をつくっていくのであります。 
そしてもっともっと自由になるのです。

ちなみに画像の猫はお向かいのレタルさんの飼い猫のピノコ。
ピノコのぷりっとした感覚は、今でも体にしみついています。よく一緒に寝てくれました。
こやつは猫のくせに人が好きで、空気が読め、けっこうかまってちゃんで、されるがままで、
猫のくせにたぬきで、よく食べ、よく食べ、デブで、愛嬌があり、
女だけどおっさんみたいな寝相で、お尻がぷりぷりしてて、目がくりっとしてて、
太っていて、デブで、たくさんの人に愛される猫でしたが先日、交通事故で
この世から旅立ちました。 もう一緒に寝ることもできません。

デブのあいつはもう骸骨ですけど、
僕の心の中にこやつは存在します。かわいいやつですからね。
そして、僕以外にもたくさんの人に愛され、たくさんの心の中にもこいつはいます。
きっとみえない世界をピノコ色に満たしてくれていることでしょう。

僕はそこから力を頂きます。
見えない世界とつながるのです。