2012年12月25日火曜日

可愛いの先にあるもの



展示会後、ホームページの更新なども終え、やっと少し落ち着いたかな。
うーんやっと落ち着いた。落ち着いたけど、いつの間にか年末。
いつものごとくたいしてやりたいことがない。

大江戸線乗って東京湾にひとりクリスマス夜釣りにいこうと思ってたけど、寒くてさすがに萎えた。
とりあえず大晦日と年明けに予定している、ワンボックスで行くミステリーツアーが楽しみです。

やることがないからと寝ててもしょうがないので、こんなときはブログでも書くべし書くべし。
僕自身ブログを書くことで、胸の中のもあるモヤモヤしてるよくわからん何かが、
文章になることでほんの少し理論的?につかめるようになったり、思わぬ発見がけっこうあったり
します。 僕の服づくりにとっても良いことなのですな。









僕にとって、服が可愛いくあることは絶対です。
(可愛いがかっこいいになるときもあるけんど。。)
たけど、可愛いで終わりたくないと感じています。まあ、いつもいってますよね。

終わりたくない。つまり、可愛いにはまだまだ先があるんだということだ。
ではその、可愛いの先にあるものとは。あくまで僕にとってはの話になってしまいますが、
これまでの経験をもとに、漠然としている可愛いの先にあるものについて考えてみようと思います。

つーかそもそも、可愛いって何者だよ。
そもそも、なぜ人は何かを可愛いと感じるか。まずはそこから勝手に考えてみるぜ。

僕の見解では、何かを可愛いと感じることは、実はとてもありがたいことな気がするのです。
いってみれば、長い人間の歴史の功績だと思うのです。

人類、最初から可愛いもんなんてなかったはずだ。 つまりどういうことかというと、、たとえば
石と斧でマンモスを追っかけていた時代、子供を可愛いと感じることはあったかもですが、
可愛いもんなんてほっとんど存在しなかったと思います。
かろうじて土偶とかは可愛いってかんじだったのかな?別に可愛くねーか。

つーか、可愛いなんていってらんない。昔になればなるほど、生きるというか、生存するのに必死。
ゆえに可愛いって感覚自体が今よりあまりに乏しかったことでしょう。
今日現在の可愛いもの、それらを可愛いと感じることは、もちろん本能的な要素もあるでしょうが、
何千年にも引き継がれてきたたくさんの人たちの可愛いに対する知恵や努力、
それを楽しんできた各々の文化の賜物です。

たとえば、あの愛らしい柄模様、袖の形状、色々な可愛いディテールのひとつひとつ、
各々の存在した、時代、地域の歴史をベースに誰かが考え、生み出され、時を超えて
引き継がれてきたものであり、時代を超えた感覚です。
可愛いらしさは、時代と地域の文化を養分として取り込み人々が進化させてきたのです。

そして新たにたくさんの可愛いが生まれ、組み合わさり、、、の繰り返しであります。
豊かな時代が進めば進むほど、可愛いも豊かになっていきます。
やべー、また小難しいかんじになっちまったぜ。

じゃあ、可愛いけりゃいいじゃん。
いいっちゃあいいんですけど、その存在が”単純に”可愛いということは、その存在に私たちは
慣れしたしんでいる、つまり、すでにあるということです。新しくはないということです。
だから、可愛いだけで終わってしまってはつまらないと感じてしまうわけです。

では、可愛いで終わらず、可愛いの先にあるものとはいったい何なのか。

今現在ある可愛いを、少しでも前に進めようとする意思から生まれるものだと思います。
あくまで僕にとってはですけど。

超簡単にいうと、(服の場合は)服として可愛らしく、まだ見たことないもの。新しいもの。
だけども、そんな可愛くて見たことなくて新しいもんなんて、そう簡単につくれません。
ここ数十年で格段に豊かになり、よりたくさんの人たちが服づくりそのものに関心を持ち、
さらにネットなどで情報は共有されやすくなり、無数の可愛いデザインが生まれ、
溢れかえっているこの時代、そう簡単にみつかりっこないですよ。今はそういう時代。

じゃあそんな現代日本に生まれた僕はどうすればいいのか。
現代の溢れかえる可愛いに屈するのか。

屈してたまるか。それでも見たことない可愛いものを目指すしかないのであります。
難しいとわかってはいるが、全力をかけるのです。
全力とはつまり、その人自身の全力です。本能であり、感情であり、経験であり、生きざまです。

自分らしさを追求し、新しさを求め、もはやそれが新しいかなんてよく分かんないけど、
兎に角新しく可愛いものを作り続ける。少なくとも自分の中では。
そして芽生えてくる、念願の自分らしさ。その人そのものの作品。

たとえその柄だとか、装飾だとか、ディテールだとか、シルエットだとかは見たことあるとしても、
そのもの全体を通して放つものや、その思想は、他と異なるものになるはず。
似てるのがあっても、同じにはならないはず。 何から何までその人の基準ですから。
そしてそこからより多くの大切な何かを発見する人も多いんじゃないかと思います。

だがまだ終わりではない。さらに先に進むためには、そんな積み上げてきた大切な大切な
自分らしさすら、壊していく必要もあるようです。

ここからのくだりに関しての詳細は次回くわしく書こうかと思います。

可愛いの先にあるものとは、そんな一連の流れの中で生まれ得るものなのかなと思うのです。
やがて、そうやって生み出された、あなたを含んだ新しい可愛さは、その心は、
どこかの誰かに引き継がれていき、
大きな歴史の渦のほんのほんの一部となり、当たり前の可愛いものとして、
未来のわたしたちの心に届くことになるのです。きっと。