2012年12月25日火曜日

可愛いの先にあるもの



展示会後、ホームページの更新なども終え、やっと少し落ち着いたかな。
うーんやっと落ち着いた。落ち着いたけど、いつの間にか年末。
いつものごとくたいしてやりたいことがない。

大江戸線乗って東京湾にひとりクリスマス夜釣りにいこうと思ってたけど、寒くてさすがに萎えた。
とりあえず大晦日と年明けに予定している、ワンボックスで行くミステリーツアーが楽しみです。

やることがないからと寝ててもしょうがないので、こんなときはブログでも書くべし書くべし。
僕自身ブログを書くことで、胸の中のもあるモヤモヤしてるよくわからん何かが、
文章になることでほんの少し理論的?につかめるようになったり、思わぬ発見がけっこうあったり
します。 僕の服づくりにとっても良いことなのですな。









僕にとって、服が可愛いくあることは絶対です。
(可愛いがかっこいいになるときもあるけんど。。)
たけど、可愛いで終わりたくないと感じています。まあ、いつもいってますよね。

終わりたくない。つまり、可愛いにはまだまだ先があるんだということだ。
ではその、可愛いの先にあるものとは。あくまで僕にとってはの話になってしまいますが、
これまでの経験をもとに、漠然としている可愛いの先にあるものについて考えてみようと思います。

つーかそもそも、可愛いって何者だよ。
そもそも、なぜ人は何かを可愛いと感じるか。まずはそこから勝手に考えてみるぜ。

僕の見解では、何かを可愛いと感じることは、実はとてもありがたいことな気がするのです。
いってみれば、長い人間の歴史の功績だと思うのです。

人類、最初から可愛いもんなんてなかったはずだ。 つまりどういうことかというと、、たとえば
石と斧でマンモスを追っかけていた時代、子供を可愛いと感じることはあったかもですが、
可愛いもんなんてほっとんど存在しなかったと思います。
かろうじて土偶とかは可愛いってかんじだったのかな?別に可愛くねーか。

つーか、可愛いなんていってらんない。昔になればなるほど、生きるというか、生存するのに必死。
ゆえに可愛いって感覚自体が今よりあまりに乏しかったことでしょう。
今日現在の可愛いもの、それらを可愛いと感じることは、もちろん本能的な要素もあるでしょうが、
何千年にも引き継がれてきたたくさんの人たちの可愛いに対する知恵や努力、
それを楽しんできた各々の文化の賜物です。

たとえば、あの愛らしい柄模様、袖の形状、色々な可愛いディテールのひとつひとつ、
各々の存在した、時代、地域の歴史をベースに誰かが考え、生み出され、時を超えて
引き継がれてきたものであり、時代を超えた感覚です。
可愛いらしさは、時代と地域の文化を養分として取り込み人々が進化させてきたのです。

そして新たにたくさんの可愛いが生まれ、組み合わさり、、、の繰り返しであります。
豊かな時代が進めば進むほど、可愛いも豊かになっていきます。
やべー、また小難しいかんじになっちまったぜ。

じゃあ、可愛いけりゃいいじゃん。
いいっちゃあいいんですけど、その存在が”単純に”可愛いということは、その存在に私たちは
慣れしたしんでいる、つまり、すでにあるということです。新しくはないということです。
だから、可愛いだけで終わってしまってはつまらないと感じてしまうわけです。

では、可愛いで終わらず、可愛いの先にあるものとはいったい何なのか。

今現在ある可愛いを、少しでも前に進めようとする意思から生まれるものだと思います。
あくまで僕にとってはですけど。

超簡単にいうと、(服の場合は)服として可愛らしく、まだ見たことないもの。新しいもの。
だけども、そんな可愛くて見たことなくて新しいもんなんて、そう簡単につくれません。
ここ数十年で格段に豊かになり、よりたくさんの人たちが服づくりそのものに関心を持ち、
さらにネットなどで情報は共有されやすくなり、無数の可愛いデザインが生まれ、
溢れかえっているこの時代、そう簡単にみつかりっこないですよ。今はそういう時代。

じゃあそんな現代日本に生まれた僕はどうすればいいのか。
現代の溢れかえる可愛いに屈するのか。

屈してたまるか。それでも見たことない可愛いものを目指すしかないのであります。
難しいとわかってはいるが、全力をかけるのです。
全力とはつまり、その人自身の全力です。本能であり、感情であり、経験であり、生きざまです。

自分らしさを追求し、新しさを求め、もはやそれが新しいかなんてよく分かんないけど、
兎に角新しく可愛いものを作り続ける。少なくとも自分の中では。
そして芽生えてくる、念願の自分らしさ。その人そのものの作品。

たとえその柄だとか、装飾だとか、ディテールだとか、シルエットだとかは見たことあるとしても、
そのもの全体を通して放つものや、その思想は、他と異なるものになるはず。
似てるのがあっても、同じにはならないはず。 何から何までその人の基準ですから。
そしてそこからより多くの大切な何かを発見する人も多いんじゃないかと思います。

だがまだ終わりではない。さらに先に進むためには、そんな積み上げてきた大切な大切な
自分らしさすら、壊していく必要もあるようです。

ここからのくだりに関しての詳細は次回くわしく書こうかと思います。

可愛いの先にあるものとは、そんな一連の流れの中で生まれ得るものなのかなと思うのです。
やがて、そうやって生み出された、あなたを含んだ新しい可愛さは、その心は、
どこかの誰かに引き継がれていき、
大きな歴史の渦のほんのほんの一部となり、当たり前の可愛いものとして、
未来のわたしたちの心に届くことになるのです。きっと。



2012年11月28日水曜日

今のオレは今だけ




来年の1月に、大阪のどこかではるかきみへ13SSの展示会をやろうと思います。
東京と同じく、僕もいっしょに昔の服たちもたくさん並べておきます。お近くの方は是非!

ただ、いかんせん会場などはこれから探しますので、詳細はもう少しお待ちください。
今のところ決まっているのは、やろうという予定のみです。
関西は土地勘がなくちょこっと不安でありんす。







先日、すでにcollectionページで掲載済みですが、はるかきみへ13SSのイメージ撮影をしました。


今回の撮影は、カメラのお父さん(中島さん)、おっさん(僕)、最近酔っぱらい女(モデルえりんこ)、

女の子(スタイリスト&アクセサリー夢佳ちゃん)、女子高生(モデルたりほたりーほ)。

年代もいい具合に色々。みんなそれぞれの時間の流れにいます。

みんな共通しているのは、はるかきみへをなんとなく好きでいてくれていること。

とてもありがたいですね。


そんな普段別々な人たちがいっしょになって一生懸命の結果、

どうにかこうにかそれぞれのその時の色を捉えることができました。


それぞれのその時の色とは。

無常無常。すべては無常みんな無常ということです。


幸か不幸か、誰しも個人差はあれ心も見た目も移り変わり、

ひとつのものに対する感じ方は年齢によって異なってしまうものです。

だから、10代、20代、30代、40代・・・と、同じ人間であってもその魂は同じではありません。

たとえば僕なんかは、おおざっぱにこんなかんじかな?

高校時代 : やる気ないだらしない金髪クソ野郎 
大学、専門学生時代 : やる気はあるけどだらしないセンスがないクソ野郎
最近  :やる気がからまわりしてるだらしないクソ野郎

だらしないクソ野郎であることは今も昔も変わらないみたいですね。


当然っちゃ当然ですが、表現においても同じです。

たとえば写真家なら写真、スタイリストなら服に対し、それぞれ何かしら心踊るものを感じ、
そいつをもっと知りたい、そいつで何かやりたい、そいつで世の中社会に対し表現するんだ、と
それぞれの職業についています。

優れた表現者のその表現は無常であります。そのスタイルは様々ですが、
表現手段を磨いていく中で絶えず自分を見つめ、社会を見つめ、喜びと葛藤の中、
明日の表現を探しつづけるものです。

日々せわしなく、時間の流れは想像以上にはやく、色々と理想に追いつかないこともあったりと、
どうにもこうにも焦ってしまい見失いがちになってしまいますが、
じつはじつはじつは、
その時、その時期のあなたはその時だけなのであります。

だから、いち表現者として今の大切さをもっと意識しなければいけない。
または、そういう生き方をしなければ。今のオレは今だけなんだよ。
そんなかけがえのなさを作品としてしっかり残しつづけていければ、そしてそれを伝えていければ、
オレはオッケーなのだ!!。

出来上がった画像を眺めては、そんなことを考えていました.
今回の撮影に関わっていただいた皆様、本当にありがとうございました!

まじありがとうございました!

あと、何の気なしにさりげなく昨日、はるかきみへのツイッターをはじめたので
よろしくお願いします。

今を大切にしながらつぶやきますなう。



2012年11月11日日曜日

オレらは孤独だぜ



マックとかでコーヒー飲みながら人を観察してると、ほんと色々な人がいるなと思う。

とりあえずぱっと見渡すだけでも、
普通のサラリーマン、学生、女子高生、小学生、ホームレスっぽいおっちゃん、
ひたすら体揺らしエアギターしてるアツいバンドマン風のおっさん、  何かの撮影前で、
急いでメイクしてるモデルさん、  プロっぽいバイオリン演奏者の綺麗なお姉さんもいた。

ちなみにコレクション前の僕は身だしなみどころではなく、コンタクトではなくほぼメガネで、
いつも以上に適当な身なりになるので、おそらく人生にくたびれたかんじのちょっとダメな、
チャリで動き回ってる、なぜだか女の服の絵を描いているきもおっさんに見られているだろう。
多分デザイナーだとは思われるわけがない。しったこっちゃない。

それぞれちがう環境で育ち、ひとりひとり世界の見え方はめちゃくちゃ違うんだろうなといつも思う。
たとえば僕の服に対する見え方、感じ方もそれぞれ異なる。おんなじ人間なのに。
それはやっぱりなんだかすごいことだなと感じます。

だが、目の前に人がたくさんいるからといって、それぞれの世界が交差できるわけではない。
基本、それを垣間見ることも難しい。
どうあがこうが、僕の前を通り過ぎるほとんどすべての人たちの世界をみることもなければ、
僕の世界を見せることも不可能なのだろう。

人間は人間という曖昧な枠の中でそれぞれ曖昧に異なる世界があり、
時には自分以外の人間の世界を垣間見たり、共有したりします。
大体みんなさみしがりやなのです。

だから、僕もできることならたくさんの人の世界と交差したい。昔からそう感じています。
たくさんの世界と交差したいといっても、別にだれかと直接交流しまくりたいわけではないですよ。

普段、僕はひとりですごしていることが多く、遊ぶにしてもだれかとどこかに行くのではなく、
マイペースにひとりで気が向いた時にどこかにでかけるってかんじが好きで、 ほとんど服ばっか
でそれ以外はどうでもよく地味に生きていますが、

なんだかんだでさみしがりやです。それはなぜか。

だれかの世界に感動する。だれかに自分の世界を見てもらい何かを感じていただく。
ということをいつも求めているからです。
だから、さみしいのは本能だ。
さみしいから表現するのかもしれない。
孤独の中でこそ人間の世界は育まれるのです。

同じ空間、時間軸に生きてるけど、違う世界に生きてる人たち。これから僕は服を通し、
そういう人たちに出会い、心にほんの少しでも交わることがあるのかと思うとすごい楽しくなる。
ワクワクするのである。表現することの喜びのひとつである。

心は宇宙である、と書きましたが、心は宇宙のようにとらえられることがある。   
宇宙はよくわからない。よくわからないから怖い。真っ暗だから不安だ。 孤独だ。さみしい。

だから無数に輝く星があり、銀河がある。銀河鉄道も走っているかもしれない。
楽しくなってきたと思いきや、とんでもブラックホールもある。それは人間の心そのもので、
宇宙と心のイメージは大体みんな共通です。
そしてそれぞれそんなかんじに孤独なのであり、さみしいのである。

今、僕は撮影直前(あと一週間だぜ)。直前のくせして、
これから想い思い重いスーパードレス×2着&狂った帽子10個位&ブラウスワンピ1着ずつ
&その他の服の仕上げに取り掛かる。

これは終わるわけがない。でもつくりたいデザインを思い付いちゃったんだからしょうがないべ。
無茶なんだから、つくらないという選択肢もある。でも、今つくらなければ、
これから撮影されるであろうその写真は生まれないことになる。絶対後悔する。
何としてもつくるのだ、やりとげるのだ。

つうかブログ書いてる場合じゃないだろクソよこた。
まにあわないではない。行けるところまで行くのだ。それが我が道なり。

さびしいからだれかといっしょにすごすのではなく、
さびしいから我が孤独をどこかだれかの心にとどけるのだ。

俺は今死ぬほど服をつくっている。幸せだうんこ。




2012年10月28日日曜日

服の心


~はるかきみへ 2013春夏コレクション発表予定~


*ビジュアルイメージ発表*


撮影したコレクションのビジュアルイメージを11/20辺りで
はるかきみへ のホームページのcollectionページ上で発表します。
その後ルックブックとして展示受注会の招待状として送付します。


*展示受注会日程*

一般の方のご入場も大丈夫ですので、お気軽にお越しください。
前回同様に、アトリエにあるこれまで制作してきた商品やサンプルも販売いたします。


12/10(月) 15:00~20:30
  
12/11(火)~12/14(金) 11:00~20:30
     
12/16(日) 13:00~20:30

※12/15(土)は会場の都合により休業となります。


会場  Irie Yawd(アイリヤード) gallery

住所:東京都渋谷区神宮前4-25-7-302      TEL:03-3470-1825

原宿キャットストリート沿いのマンションの3F(隣が美容室です)にあるギャラリーです。







僕はいつも最強の服をつくりたいと思っています。
服として、絶対的に可愛い服です。

僕はいつも可愛い服をつくることを考えて生きています。
なんか最近こんなことばっか書いてるな。まあいいや。大体そんなことしか考えてないってことで。

可愛い服をつくるために空とか星とか海とか雨とか花とか季節の匂いとか綺麗なことも
頭に浮かべれば、ニヤニヤ女の子のこと考えて(ごめんなさい)勝手に気持ち悪い妄想して
勝手に回復してみたり、言葉にも出せないような過去のクソむかついた出来事や
悔しい経験を思い出しては自分を奮い立たせたり、そういう僕自身の綺麗な心も
気持ち悪い心も素晴らしい経験もクソみたいな経験もひっくるめて、
決して透明ではない、茶色い泥水のような純粋?な何かを、ぐちゃぐちゃになろうが
何でもいいから僕自身をとおし、最終的には僕の可愛い服という表現物に変換したいとのです。

そんな服にはきっと心があります。
そんな服からは手に取る人の心に何かがしっかりと届くはずです。つうか届け。
その心の絶対値が大きいほど、僕にとってのより素晴らしいものです。

まあ、僕は感情豊かなポンコツ服変換機みたいなもんです。
そんな僕のやや気持ちわるい泥水的な服を「可愛い!」と受け入れてもらえるだけで、
生きてきた甲斐があるってもんです! 変換機はとても嬉しい。

できれば全部そんな服ばっかのコレクションがいいですが、まだまだ未熟な変換機の僕だ。
最強かどうか、心に届くかどうかなんて人の感じ方それぞれでもあるのでよくわからないけど、
ひとつのコレクションのうち一着二着でもできるだけたくさん届けたいです。



                       *  *  *



以下、余談。

前回、気合い入れまくった分、それよりも可愛いく、変化もつけて、、、となるとこりゃあ大変だ。
全力でいっても足りない。正直もがいている。時間もない。

「あうあ、うえーっ! くそー!!最強の服ができねえよおおーザラキザラキぱるぷんて」
みたいなかんじで、アトリエでもがき転げてたら、
プレス?のえりんこからめずらしく説得力のあるひとこと、
「自分が変わらないと服も変わらないぜ。」 だとさ。
むむむ、まあ、たしかにそうだ。つーか生意気だ偉そうに。えりんこのくせに。

でもたしかにそーだ。

いくらでも浮かんでくるから、デザインには困んねーぜ!なんですけど、最近ちょっと困ってます。
このデザイン、可愛いんだけど、今までとあんま変わらんぞ、となることが多い。
これまでと変わらず可愛いものをつくるということは、一見いいことだとは思うのですが、
” これまでどおり ” というところに落ち着いたらだめだだめだだめだ。

それはこれまでの自分に甘えているということだ。多少甘えてもいいが、甘えすぎはだめだべ。
もし未来の俺が今の僕に甘えまくってきやがったら、蹴り飛ばしてカンチョー食らわしてやる。
つくるモノがよりアツい方向に変わっていくということは、
つくっている僕自身がよりアツいおっさんに変わらなくてはならない。

同じ人間の表現がいきなり ポン!と変化することはなく、
精神的にも知識的にも技術的にも人間的、、、なんでもいいや。とにかくどれでもいいから、
人間の表現が大なり小なり変わるということは、そいつ自身が変わるということなのか!

とかまあ、そんなかんじのこと考えながら元気に生きてます!それではまた!



2012年10月15日月曜日

本能


世間はファッションウィークの真っ最中。

僕はというと、、風邪ひいてしまい寝ています。布団の中で風邪と戦っています。
意地でも今日中に治そうと、風邪に効くツボを調べては押しまくり、
栄養ありそうなものを食べポカリ野菜ジュースサプリメントたくさん飲んでは寝て、
無理矢理僕の体から風邪を追い出してやるのであります。






そんな中、昨日から高島屋新宿店6Fのエレベーター横っちょに、今月23日まで
おとぎ話とファッションというコーナーが設けられ、他のブランドさんといっしょに、
はるかきみへの服も横っちょに並んでいます。画像は売り場の写真です。
10/21の日曜の15時~20時、僕も売り場付近をうろついてるので、
よかったら話しかけてみてください!
ちなみに10/31(水)~11/6(火)は高島屋大阪店の3Fで同じように並びます!


次のコレクションのビジュアルイメージの撮影まであとちょうど1ヶ月(展示会は12/10~)!!
ただでさえおそいを通り越してアホだろってかんじにおそい発表なのに、それでも時間がない。
いや、時間がない、ということはない。時間だけは誰にでも平等だ。
ないのではなくて、時間が過ぎていくのが早すぎるというべきか。

まあ、だからどうした。しょうがない。そういう服づくりだ。
ガタガタ女々しいこと言わずに、どっぷり自分の世界につかりつづけてみよう。

もちろん最低限の時間は必要だけど、大事なのは時間じゃない。集中力なのだ。
人間は基本、余計なことを考えている生物です。人間は虫や他の動物と違って、頭が良すぎる。
頭が良いほど、余計なことを考えるものです。どうでもいいことや無駄に理屈っぽいことや
言い訳やら変な妄想やら、、、

この薄汚れた人間社会を生きていくには必要な雑念もたくさんありますが、
とにかく余計なことばかり考えてしまいます。

こんなこと言っている僕自身も次のコレクションに向けて、あんまり賢くない頭であれやこれや
理屈っぽく考えることはしました。そんでもって、もういい加減考えるのも飽きてきました。 

何かを表現するとき、頭もそりゃあ使います。一応にんげんですからね僕も。
でもやっぱり結局は、心を体を使い集中して集中して集中して、はじめて自分の心の奥を捉えることができるのだ。

はるかきみへを好きな人に”今”の僕は何が表現できるのか、ということ。それだけを考える。
意味あろうが無かろうが無駄だろうがうんこだろうが、僕は動物になるのだ。

じっと見据えて、必ずつかみ出してやるのだ。 グォーーーーーーーン!!

あと一か月。ここからは本能の期間です。服をつくるためだけに存在するヨコタという動物、
本能の獣サーベルタイガーヨコタになるのです。

グガオオオオオェェェェェ

と思ったけど冒頭のとおり、あいにくサーベルタイガーヨコタは風邪ひいてしまったので、
布団に入ってツボを押しながらこのブログを書いているというわけです。携帯をポチポチさせて。
さっさと風邪野郎なんてぶっとばしてやります。

服があって、着てくれる人がいて、僕がいる。
次のコレクションは、さらにたまらない服をつくってやりますのでお楽しみに☆



2012年8月14日火曜日

小学生のころ描いた漫画

 












僕が小学校5年だか6年だかに描いた漫画です。我ながらなかなか力強い作品ですね。
当時人気の漫画、「セイント聖矢」のパロディーのようです。
聖矢の本編で全くスポットライトを当てられなかった超絶ザコキャラの、ライオネットの蛮(バン)という冴えなさすぎるキャラを無理やり主人公にしちゃってます。

なんだこれ。 ろくでもない漫画ですね。
無駄にたくさん、まるまるノート1冊分描いてるようなので、そのうちこの続きも晒していきます。
それにしても小学校のころの俺、こんなもんたくさん描いて、何考えて生きてたんだろうか。

前に漫画家を目指している友達にこのクソ漫画を見せたら、
「勇気をもらった」 と言われちまいました!

漫画家をこれから目指そうと思ってる人、音楽、デザイナー、なんでもいいや。迷ってる人。
とりあえずなんでもいいから、つくりたいものを、つくり、表現したいものを表現すればといいんじゃないかと思います。

具体的なカタチとして。
こんなクソみたいな漫画でも、案外勉強になりました。たぶん。
もちろんつくる系だけじゃなくて、例えばまじガチで服が好きだぜって人は、
自分のスタイルをさがして自分の着方をガンガンしてください。
服をとおして自分を覗き込むのであります。

できるだけ開き直って、他の誰かの影響とか色々あるものですが、そんなのどうでもいい死ねと押しつぶすくらいの、濃いあなたの心で選んで服を着てください。
そんなふうに育まれていくおしゃれこそ最高級だと僕は思います。

開き直りすぎてとんでもダサくなり黒歴史となることもありますが、そんな黒歴史は、
素敵でありんす。

何かを表現していくうえで僕が一番大切だと感じていることは、
未熟だろうが何だろうが、限られた時間内で今現在できうることをその作品の中で
どれだけ注ぎ込めるか ということです。

それは技術や知識ではなく、人間力、その人そのものを注ぎ込む力です。
その力の秘密はその人しか知らない、その人だけのもの。さがしつづけるもの。
必要な技術や知識は、つくっていく中で経験として、その人の肉になるように、
自分の意思で学ぶものです。

そして、できるだけたくさんたくさんつくり、作品としてその人自身を積み重ねていき、
その人は絶対的になっていけるのだと思います。

たくさんつくりましょうぜ。 たくさん挑戦しましょうぜ。
 

2012年7月28日土曜日

リアル

 








僕の普段の生活です。

朝 マックかドトールかどこかのカフェで必ずコーヒーを飲み気合を入れ、
テンション上げながら服のデザインを考える。 おっさんひとり朝からハイテンションだぜ!!

そして仕事。

最近は生産期なので、型紙やら自分で切ったり縫ったりやら、指示書やら、
とにかくたくさんつくってます。
僕の服はふざけんな細かいので、それはもう混乱してきて色々と発狂しそうになることもあります。

昼。 僕は食べると眠くなる習性があり、昼ご飯は食べず、アイスとかですませることが多いです。

さらに仕事。たまに休憩で近所を散歩。マレに色々いやになってそのままどこかに
遊びに行くこともあります。
そんでもって夜から夜中、ぶっとおしで仕事。仕事仕事。仕事だぜ。

夜中2時位に再び近所のマックに行き、夜中の妙なテンションとともに
コーヒー飲みながらデザインなどをする。
デザインは楽しいです。夜中はなぜだか妄想が膨らむのであります。妄想の海を泳ぐのだ。
ちなみに僕は、水に浮くことはなんとかできますが、泳げません。

晩ご飯は一応健康に気を使い、ご飯と魚系と温泉卵と豆腐&納豆。
メニューは面倒なので大体毎日いっしょ。
たまに外食もします。まあ、ぶっちゃけけっこうなんでもよろし。大体おいしい。
それからシャワー浴びて、寝ながら服的なこと考えてるか携帯いじってます。

デザイナーだけどいつからか自分の着る服には全く興味なし。なぜだ。
楽な格好ならなんでもいい。
髪の毛が鬱陶しくて思いきって坊主にしちまおうかと思ったくらいだ。しないけど。

趣味はその辺をぷらぷらすること。きもだめし系。自然系が好き。釣りが好き。廃墟好き。
気持ち悪い妄想が好き。ど田舎に望遠鏡で星を見たい願望あり。
ちょっとロマンチックなおっさんです。F1も好き。

かっこいい趣味がひとつもないじゃねーか。
なぜこうなった。

改めて自分の生活を考えてみる。なんなんだろうかこれは。
デザイナーってもっとおしゃれで華やかだろ。
こいつは服やってればなんでもいいのか。

ぶっちゃけ、なんでもいいのです。

服(をつくること)以外、まともに興味のあるものがない。
デザイナーは感性を磨くために色々なものに興味をもって色々見て体験して。。
とか思われることもあるかもですが、
困ったことにほとんど興味の湧くものがありません。興味のないことなんてやってたまるか。
服づくりさえやれればなんだってかまいません。もう死んでもいいかなとか思う。死なないけど。

全部服にあげましょう。だからもっとすんごい服をつくれるようになります。
こんな、服やってなきゃクソクソクソみたいな男ですが、はるかきみへ の服が好きだと
言ってくれる人がいる。
そういう人たちを裏切るわけにはいきません。

それにしても僕はなんでこんななのか。
僕自身がもっとおしゃれで、器用な人間であれば、もっとおしゃれで器用なブランドに
なっているでしょう。

僕自身がおしゃれで器用な人間でないから、その分、もっと可愛い服をつくってやるのです。
おしゃれで器用でなくていいから、その分、もっと自分に正直に生きるのです。
僕みたいなうんこ野郎はもっと自分剥き出しでいかないと、
本当のレベルでのおしゃれで器用な人たちに負けちまいます。

これが色々自分と世の中と向かい合ってきた結果なのだ。 それだけの話です。
この世の中、生半可なことは、基本通用しない。
だから特別可愛い服をつくる以外、僕に価値はないのであります。



 

2012年7月12日木曜日

この世とあの世~みえない世界~

 





死んだらどうなるか。考えてみた。

まあ、特に何もないのだろう。死んだら意識がなくなり、終了である。


でもそれは僕にとっては真実ではない。

理由は簡単。 それではつまらないからです。

想像力のない、ただのつまらない一般論のひとつである。そんなのはどうでもよろし。


僕はあの世だとか宇宙だとか次元だとか時空だとかパラレルワールドだとか、幽霊だとか、

光の速さに近づくほど時間が止まるだとか、最近だとヒッグス粒子だとか、

そういう人智を越えているようなよくわからない、解明したくてもなかなかできない、不思議なものが大大大大大好きでして、

思い浮かべているだけで最高にワクワクします。


そんな僕はいつのころからか、特に本気で服をつくるようになってから、

あっちの世界や異次元、宇宙、幽霊、はたまた人の心・・・

それらひっくるめて、みえない世界。心って、感情って、気持ちっていったい何なんだろうか。 

この、みえない世界っていったいなんぞやと、きっとステキな秘密があるにちがいないと、

勝手に考えるようになりました。


どうやったらそれらをつくる服たちに入れることができるのか。
 

想像をすることは自由であります。そして、それが楽しいのだからしょうがない。だから、

いつものごとくワクワクしっくりくるように、勝手に理屈をつけては好きなように想像していました。

自分の経験などと照らし合わせ、こんなかんじだったらなんとなく納得いくし面白いなといったかんじに。

そしてそれこそが僕にとっての真実であります。思いっきり想像力を働かせるのであります。


そんな横田的解釈の ”みえない世界” を、ざっくばらんに当ブログにてまとめてみることにします。



ずばり?みえない世界とは、感情とか記憶でできた世界だと思います。
死んだあとに行く世界も同じようなかんじです。

まず、僕たちが暮らしているこの世、現世を、物質が基準の世界であると仮定します。 
物質、つまり質量のある世界。

みえない世界はその逆なのです。物質のない世界。質量というリミッターのない世界。
つまり、
今僕たちが暮らしているこの世界が物質 + 記憶感情だとしたら、
見えない世界は、記憶感情オンリーの世界、ということだ。

感情と記憶だけ?で成り立つ世界。 だったら面白い。
そして、その世界には今も片足つけている。心の中とか夢の中がそれです。
そして、この世の中のよくわからない不思議なこととか、ワクワクすることのたくさんは
その世界にあるんだと思います。

なんせほとんど感情と記憶だけでできていますからね。自由すぎる世界です。
死んだらこの世に魂だけ抜け出るんじゃなくて、記憶と感情オンリーの、
いわゆるあの世、見えない世界にワープしていくのです。

さらにつきつめてみる。

光と影があるように、世の中は対立するものどうしで成り立っています。
あっちの世界とこっちの世界は合わせ鏡のようにかさなり合っていて、お互い影響し合っている。
影響し合っていますが、合わせ鏡なだけに、色々ほとんどが真逆になります。
逆ということは、見えない世界は時間とかもない世界かもしれない。

僕たちの暮らす世界とは逆で、光の速さが基準ということもあり得るのではないか。
質量がないということは、感情や記憶は光に近い存在であり、光の速度が基準なのかもしれない。ということは、
時間という概念もなくなるか、もしくは時間に対して自由になるかもしれない。
僕が暮らす物質世界にいても心の中ではある程度、時をさかのぼることができます。
つまり心の中ではあっちの世界とつながっているわけです。 ヤバい、おもしろい。

なんだかマニアックなかんじになってしまいましたが、
そんな不思議で楽しい?見えない世界とたくさんうまくつながることで、
色々な発想やエネルギーを頂き、僕自身とうまく絡み合わせて服をつくっていくのであります。 
そしてもっともっと自由になるのです。

ちなみに画像の猫はお向かいのレタルさんの飼い猫のピノコ。
ピノコのぷりっとした感覚は、今でも体にしみついています。よく一緒に寝てくれました。
こやつは猫のくせに人が好きで、空気が読め、けっこうかまってちゃんで、されるがままで、
猫のくせにたぬきで、よく食べ、よく食べ、デブで、愛嬌があり、
女だけどおっさんみたいな寝相で、お尻がぷりぷりしてて、目がくりっとしてて、
太っていて、デブで、たくさんの人に愛される猫でしたが先日、交通事故で
この世から旅立ちました。 もう一緒に寝ることもできません。

デブのあいつはもう骸骨ですけど、
僕の心の中にこやつは存在します。かわいいやつですからね。
そして、僕以外にもたくさんの人に愛され、たくさんの心の中にもこいつはいます。
きっとみえない世界をピノコ色に満たしてくれていることでしょう。

僕はそこから力を頂きます。
見えない世界とつながるのです。

 

2012年6月14日木曜日

テーマの見つけ方

 

そもそもなんでテーマって必要なんだろう。

僕はひとつのコレクションをつくりあげていくにあたり、何かしらテーマを設けることが多い。
ここでいうテーマは、コンセプトとも言いかえれます。
たとえば、はるかきみへ2011SSだと「 teard 」、2012SSだと「翼のある服」といったかんじです。

テーマを決めると一貫した目的のようなものが定まり、伝えることが明確になり
デザインもしやすくなる反面、
テーマに固執することでデザインが制限されることもあるように感じることもある。

テーマに沿わないという理由でせっかく浮かんできたデザインが採用しずらくなるというかんじに、
テーマへの一貫性が障害となり、服としての自由な自分を表現しずらくなるということだ。

まあなんというか、無駄にかたっくるしくなるのであります。
それはいかんぜよ。 オレはテーマのために服をつくっているわけではないのだ。

かといって、 じゃあテーマなしでコレクションやればいいじゃん。 というわけにもいかない。
テーマを決めずにつくるというのもひとつの立派な選択肢ではあるんだろうけど、
そのうちテーマなしでコレクションやるってこともあるだろうけど、本当にそれで納得していいのか。なんだかイマイチしっくりこない。

考えすぎである。と思われるかもしれませんが、こういうモヤモヤに何か潜んでいることが
案外多いのです。

しっくりこないと感じるということは、それは僕にとってマックスに理想的ではないからなのだろう。
何か、僕とテーマとの素晴らしき付き合い方があるということなのか。
でもども、テーマが度々障害になっているかんじがすることも事実。 じゃあどうすんのさ。

もうしらねーよ。 うんこ。

そんなぐあいに今までなあなあなかんじにしてきてしまいました、コレクションのテーマに対する自分なりの向かい合い方。
僕にとっての、テーマとの真実の関係とは。
そろそろ本気で解明しなければと思い、じっくりどっぷり考えてみたのでありんす。











ここ2、3か月前から僕は、次のコレクション(13SS)では胸当てをテーマにコレクションをしたいと思っていました。
(画像は12-13AWから。あいかわらず気持ちが先走りフライング気味にいつもより多数胸当て登場。13SSはまだですよ。)

おらおらたくさん可愛いムネ当てをつくってやると、夜な夜なひとりで憤っていました。なんだか気持ちワルいおっさんだ。

ここでいう胸当てとは、シャツやワンピースなどの胸元をあしらう装飾、パーツ、
正式には烏賊胸(イカムネ)といったりする。僕はこの胸当て的なものが大好きで、
色々自分なりに応用したりして、
これまでもたくさんデザインに取り入れてきました。

まじ可愛いムネ当て連発させます
もちろんただの胸当てで終わりたくない。
日本イチ可愛い胸当てをつくりたい。
世界イチ可愛い胸当てをつくりたい。
宇宙イチ可愛い胸当てをつくりたい。あいかわらず気持ちワルいおっさんだ。
これ胸当てぇ?となるくらいこわすつもりでつくりたいと思います。

ばらばらにしてやる。

感情と心と気持ちで胸当てをはじけさせるのです。
そして服ごとこわしてしまえや
おらおらおらおらおら
ばらばらばらにしてやる
そのあつい心を叫びを
まじオレムネ当て胸当てむね当て!!!bと威勢よく考えていました。  いつもながら気色悪いおっさんだ。

だけれども

そんなかんじであつく思っていたのですけど、、、なんか微妙にしっくりこなくなってしまった。 
でも、胸当てのコレクションに対して冷めたわけではない。
正確にいうと、”ムネ当て”とテーマを決めてしまうことに ”しっくりこない部分” があることに気づいたのです。

だからこのブログに13SSでは胸当てのコレクションやるぜと何度もフライングして書こうとしたけど、
なんだか思いとどまり書けずにいました。
なぜだろう。本当に胸当てのコレクションがやりたいんじゃなかったのか。あんなにテンション上がってたのに。。

そして一生懸命考えてみた。これは大事なことだ。

そして、たぶんわかったのである!!!!!!!!!!!!!!!

胸当てムネ当ていっていましたけども、
最初から可愛い胸当てをつくってつくっては当たり前。
そんでもって、いじくりまわしてぶっこわしてくっつけたり色々することも当然いつもの流れ。
そして、ひたすらそれを壊し組立てぐちゃんぐちゃんにしていき、ムネ当てと服の境界は曖昧になり、、、その後は分からん

本当に興味があるのは、実はそのあとなのだ。そのあとというか、その全てともいえるのか。
僕が求めているものは胸当てそのものではなくて、胸当てからはじまり、ムネ当てむね当て。。たくさんムネアテのある服
胸当てを意識している服をつくりつくりこわしつくりこわしくっつけきってばらしてつくってつくって。。。。。。。。。。。。。

。。。。。その先にあるまだ見えてないものなのです。それが何なのかはまだわかりませんけれど、
とにかくこれまでつくってきた服たちを見ても、僕はムネ当てを愛していることは確かなのだから、
気持ちの赴くままに可愛いムネ当てをデザインしまくることからはじめるのだ。
いつものことですけども、考えてもよくわからないんだから考えずにまずやれよです。またこれだ。

そして、その先にあると思われるよく分からない真っ黒黒すけを探し、
掴み取ろうという姿勢でつくってやるのです。

おそらく、結局何なのか分からず終わる気もしますが、そんなもんなのでしょう。
あるのだと信じること。 

そして、ただひとつの真実。
答えは出来上がった服たちである。きっとそこにはまっくろくろすけがいるはずです。
そして、それに見合った題名のようなものを改めてつけてやればいいのでしょう。

つまり、それがテーマとなるのです。

コレクションをとおして僕が探していたもの、求めているものは何なのか。
テーマで服をつくるのではなく、僕自身がテーマをみつけるために服をつくるのです。
やっとしっくりきたぜありんすけんじよこた。 むふふ

コレクションのテーマということに対しての僕なりの答えが出たように思います。
僕にとって大切なのは、何か かけがえのなさげなものを探し出そうと心から手を伸ばす
その姿勢なのだ。
テーマの服をつくるのではなく、テーマを見つけ出し、つかみとるために服をつくるのであります。
これから僕はこのスタイルでいきます。勝手に楽しみます。

次のコレクションは、まずは胸当てが大好きである僕自身からスタートします。

いくぜけんじけんじおれはけんじよこたけんじ31さい
まっくろくろすけ出てこいや

2012年6月10日日曜日

12-13AW予約受注会のお知らせ~ALIGHT~

 





今回も はるかきみへ をお取扱いいただいている
香川県高松市にあるお店のALIGHT様にて、
はるかきみへ12-13AWコレクション商品の予約受注会が行われます。

6月17日(日)、6月18日(月)です。 

この二日間に向けて、
今期のはるかきみへの服たちのいくつか(全部ではないですが)は高松に向け、
ごっちゃんごっちゃんの東京からひっそりと飛び立ち、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うううううえええええああああかさたなあああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ALIGHTさせていただきます。

お近くにお住まいで、ちょっと遠くても大丈夫ですよ。気になっている方、ご興味のある方、
だらんと気合い入れて、気持ち込めて服たちは待っております。
僕はべつにいないんですけど(ぶっちゃけ高松いってみたいです。。)、
服たちにはなるったけ見に来てくれる人たちに語りかけるように、常々言っています。
きっとあなたに会いたがっております。 


ALIGHT

香川県高松市田町3-15佐野ビル2階 営業時間13時~20時


 

2012年5月28日月曜日

 







なるべく可愛くしたかった。 なるべく他の人がやってないようなこともしたかった。
なるべく手間もかけてやりたい。 前よりも絶対にすごいいいもんをつくってやるべ。

そのためにはまず、力がいる。集中力。モチベーション。
その力とはいったい何なのか。どこからやってくるのか。

僕の場合は友達だったり、親だったり、女の子だったり、
好きな音楽だったり、アニメ、憧れてるスポーツ選手だったり、
散歩、チャリ、春のにおい、夏のにおい、桜、キンモクセイ、お星さま、お祭り、花火、旅行、おいしいご飯。。。。。。。

そして何よりも何よりも何よりも何よりも何よりも、 はるかきみへ を受け入れてくれている、知っている人たちの存在。
この方々の存在なくして、ブランドなんて、はるかきみへ なんて成立しません。

つまり、僕(僕の服)のことを受け入れてくれている人 と 僕の好きな人、もの、こと が主成分となり、力は魂に供給されているのです。ふあっふぉー!!

前にも書きましたが、今回のコレクションは僕にとって大きなチャレンジでした。
ざっくばらんにいうと、「より素晴らしいものをつくる」ではなく 「次のステージに行くのだ」でした。
ちがう場所、ちがう次元に行きたかったのです。なんじゃそりゃ?意味わかんねえよ。
ちがう次元って小学生かよ。あほ?

あほでもなんでも行きたいもんは行きたいのです。是が非でも。体がそういっている。
僕はだらしないのはもちろん、器用でもありません。
険しき服づくりの道、進もうとすれば進もうとするほど、物理的にも精神的にも、
より大きな力が必要になるのです。

僕は不器用なんですほんとうに。 今回はきつかった。 
無駄に空回りしたこともあり、気持ちとは裏腹に体が微妙についてこなくなって体中の
肌が変に荒れてきたり、
(体に変な症状が出てくるのは参りますよね。。)何度となくつぶれそうになりましたが、
色々な存在から力を頂き、どうにかこうにかやりぬくことができました。

そしていざ、展示会。

僕にとって自分の展示会って、僕の服を知ってる人に直接会えるっていういわば”非日常”なんです。実は。
普段はお客さんとはパソコン越しか電話越しに、事務的に毛の生えたようにしかかかわれません。
それになにより、わざわざ自分の服を見に来てもらえるってスゴイことだと思うんです。

たくさんの方たちとお話しすることができました。たくさん笑ってくれました。本当に楽しかったです。
僕はたまにというかしょっちゅうお調子者なので、ヘラヘラおバカ面でしゃべりすぎたときもありました。ごめんなさい。

だから、つかれもピークだったくせして、展示会最終日はなんだかとてもさびしかったです。もうちょっとやりたかったな。

服をつくるって、単純作業も多く、けっこう地味なんです。
仕事をしてるとき、特に服をつくってるときは地味に長時間ひとりの世界になることが多く、
手は動かしてても頭の中は結構別のところにいってることが多いようで、
何を考えているのかというと、
僕の服でよろこんでくれたみなさんのことを思い浮かべてることが多いです。何気に。本当です。

勝手にみなさんから元気をいただいてることが多いのです。それはそれは、僕にとって宇宙であり銀河なのです。
やっぱこのおっさん気持ちわるい通り越して気色悪いですね。ホントすいません。。

そ し て 。 やっとやっとやっとお、今のステージに立つことができました。 

超?横田賢二というステージ?? コオオオオオオオ


はるかきみへ をはじめてもう5年ぐらいたつのか。
このブランドはじめたころ僕はかなりの残念男でした。いわゆるダメな人。前にも書いたっけかな。
その頃の僕の周りには親がいて、バイト先の友達がちょろっといて、まあ大体それだけでした。
貯金もゼロ。 はるかきみへ 資本金ゼロ。もう誇らしげです。家(実家)があるだけいいのかな。
まあ、誰にも期待されてない。なかなかの暗黒時代。正直けっこうさびしかった。

いかんせん、自分を見てくれている人がいないということはつらいことなのです。
まず、力が出ない。モチベーションが生まれない。集中力も続かない。妄想すらできない。
よいデザインなんて生まれない。 ましてや服に魂なんて入れられっこない。なんでつくってんの? 

今でもあのときの服と向かい合っているときの心をしっかり覚えている。
とてもつまらなかった。さびしく空虚。とにかく空しかった。服は何も語ってくれない。
なんでなんでつくってんの?

ところがどっこい

でもでも今でも不思議なことに、そのときの自分が基準だったりします。
その頃の残念な僕が、実際の僕なんだと思うのです。
なんというか、ひとりになった僕なんて人間なんてそんなもんなんです。

だから今をとても嬉しく感じるし、ありがたく感じるし、
だから、僕はこの仕事をとおして、みなさんに出来ることをたくさんしたいのです。
もっともっと喜んでもらいたいと思うのです。
本当に、本当に、ありがとうございました!!!!!

次はここからスタートです。



2012年5月6日日曜日

想いをよせて

 





ギャザーとタック、想いをよせて服をつくる。今回のコレクションのテーマです。

ギャザーとタックは、僕がこれまで服をつくるうえで用いてきた最も基本となる手法です。
このふたつをテーマとして頭に入れながら、気持ちと布をよせるのです。
余計なことはあまり考えずに、とにかく手を動かすようにしています。
単純な僕にはぴったりのやり方だ。

今回はあたらしいことを、というよりも、「今」の自分をまっすぐに、
そしてこれまでよりも強烈に、素直に服にのせるのです。

おかげさまでこの2、3か月間はいつも服といっしょにいるかんじだ。
とにかく、余計なことをしたくなかった。自分にはこれしかないのだろう。

想いをよせる。

よく、オレの想いをーーーっ!!、とか、想いをなんちゃらといいますが、その想いとは何なのか。 
思いではない。重いもよろしくない。 
あ、でも表現するということに関しては多少重くなってもいいかもしれないですね。

字のまんまですが、想いには必ず相手の心があるようです。
僕にとってその相手とはもちろん、僕の服から何かを感じてくれる人であり、
また、つくる服たちそのものでもあるのだろう。

そしてそれは、僕自身を想うことでもある。
「今」の自分はそういった相手に対してどんなことができるのだろうか。

なんだか想うというのは地味で暗い行為である気もします。
本人はそう思ってなくても自己満足の延長かもしれない。なんとなくぬめっとしてて気持ち悪いし。
想いなんてどんなに込めようが、ごっちゃごっちゃのこの世の中、
気づいてももらえないことがほとんどだ。

僕みたいな変テコな男の気持ち、まともに気づいてもらえることはむしろ奇跡だ。
それは見知らぬ暗い場所でおっさん気合いで明かりをともしつつ、
約束もしてないくせに勝手に誰かを待っているようなものである。ヘンタイじゃねーか。

たとえば、自分があまり知らない、行ったことあるようなないような夜の田舎の街に
入り込んでしまったとする。
そこはなんとなく懐かしい感じがするけどあまり街灯もなく、なんとなく寂しく、
不安になるような場所。駅からだいぶ離れていることもあり、人もあまりいない。

でも、偶然であれ必然であれ、そんな場所で服という発光体をとおし誰かと出会うことができたら、
僕にとってそれはなんだかとてもファンタジーなのである。

今日はよく晴れていたので自転車を走らせていたら、公園でもない道にポツンとブランコが
ありました。午前中のあたたかく澄んだ、ちょっと花のにおいのまじった空気の中にたたずんでいるそのブランコはとてもとても澄んでいていいかんじでした。

今度、絶対このブランコで自分の服の撮影をしようと思いました。
次(13SS)のコレクションのテーマやイメージもどんどん見えてきます。
それはとてもしあわせなことなんだと思います。

まだ今回の12-13AWも終わってないのに、もう13SSのコレクションから
お呼びがかかっているようです。

言葉ではない。とにかく可愛い服をつくります。


2012年4月17日火曜日

お知らせ☆

 

5/15からのはるかきみへ12-13AWの展示会にて、アトリエにある過去の作品や
サンプルの販売もいたします。できるだけお手頃な値段でお譲りしたいと思いますので、
ご興味のある方は是非お越しください!

ついでに僕も展示会中はそこでぷらぷらしてますので、何かお話しできたらいいですね。


                              *

                              *


いつの間にか展示会まで一か月切ってしまった!!
つくった服の撮影とか表紙の絵とかそもそも時間がないとか色々色々追いつめられてきましたが、
この世界そういうものだし、どうでもいいことなのだ。
やればやるほど終わりはなかったりするものだし、いつのまにか一周してもどってたり、
そもそもよくわからないものなのでしょう。

わかるようになる必要なんてなく、余計なことは考えずにとにかくそれぞれ自分のもつ
壁を越えるためにひとつひとつの押し寄せてくる仕事を精一杯やるのだ。
色々に流されずにしっかり格闘するのだ。自分の中で勝ち取るのだ。
それ以外はけっこうどうでもいいことなんだと思います。

そこを越えれば、あとは必ずつくったものたちが語ってくれるものだと思います。
そのよくわからないものを。

と言いつつやっぱり外はあったかく、いいにおいがするのでので、
近いうち気晴らしに多摩川にでも魚釣りに行こうかなと思います。
 

2012年4月7日土曜日


 





あたたかさとか、空気や花の匂いとか、桜とか、生あたたかいやたらと風の強い日とか、
僕にとって落ち着かない季節がやってきました。

僕は何よりも散歩や散チャリが好きなので、やっとこさ冬のしつこい寒さから解放された
この季節はどうにもワクワクしてしまい落ち着かなくって、こんなにあったかいのに
外に出ないのがなんだか申し訳ないかんじになり、いつも以上にふらふらすることになります。
それでもやらねばならない仕事はいくらでもあるので、困ったものです。

丸1日休みをとり、朝から自転車で桜めぐりをしてきました。

東京はいたるところに桜がはえています。
中野坂上付近より神田川沿いの遊歩道の桜並木に始まり、新井薬師経由で中野通り、
哲学堂公園、城北城址公園、石神井川沿い、といった順で新宿と中野と練馬にある
桜の名所をまわりました。

あんまりあったかくって春の良いにおいがして、午後の日差しにとけこんでいる桜桜桜が
あんまりきれいで、やや花粉症なボーっとした頭も相まって、厨二的な表現であれなんですが、
午後の日差しを背景にした桜の木の奥にちらちらと向こう側の世界が垣間見えるようでした。

そのままニヤニヤとアホ面でついつい桜に見とれながら自転車をこいでいたら、
なんでこんなとこにいんの!?と予定とまったく違うほとんど反対の場所にいることに
気が付きました。

僕は知らないところでも道に迷うことがあまりないので、かなり混乱してしまい、
そのあとしばらく道に迷ってしまい、ちょっとだけ桜こええと感じました。
でもきれいなもん見れたから別にいいや。

まあ、8割9割、僕がバカなだけの話なんですが、美しすぎるものは人を狂わせるって
こんなかんじのことなのかな。
なんだか細かいことはもういいやーっとなって、気付いたらこんなところにいたってかんじに。
こうやって春になるとおバカな人が増えるのでしょうか。

美しすぎるものは人を狂わせる。この世の基準を超えた美しさ。
春の気候、桜、色々な空気のにおい、嵐 などなどなど。。

いつもいつも人一倍、自然の声を感じていたいと思っています。
これは間違いなく僕の本能だ。 そして、
とてもそんな素晴らしい自然を真似をすることはできませんが、影響を受けることはできます。

自然を感じ取りたくて、その深さを体に入れたくて僕はきっと外に出かけるわけで、
体はとても自然に影響を受けたがっているのでしょう。僕の心の中にはそんな自然からの
感覚がたくさんあります。

そして僕が自然から感じたものは曖昧に、僕たちをとおして服となり、
漠然とした目にみえる形となっていくのです。

次のコレクションの発表まであと少し。 こんなかんじで色々と力をもらいながら、
やりぬいてやります。
 

2012年3月12日月曜日

2012-13秋冬コレクション

 

はるかきみへ




2012-13 Autumn & Winter Collection


                        

「 ギャザー と タック 」
  
(gather and tuck)
  




<イメージビジュアル発表>

5月初旬、冊子にてコレクションイメージを発表。

又、はるかきみへホームページのcollectionページにも同じ写真を掲載いたします。





<展示会>

下記日程にて受注展示会を行います。一般の方も入場可能です。お気軽にご来場ください。

                             
日時 : 5月15日(火)、16日(水)、17日(木)、18日(金)、19日(土)、20日(日)  12:00~19:00 

会場 : ミームマシンギャラリー にて展示発表いたします。

ミームマシンギャラリー(mememachinegallery)
TEL:03-3463-7505
150-0032 東京都渋谷区鴬谷町15-10 ロイヤルパレス渋谷104
URL : http://www.mememachinegallery.jp/




その他、詳細が決まり次第ブログなどに告知いたします。

皆様のご来場、心よりお待ち申し上げております。

2012年2月5日日曜日

考えることをやめる

 

 
 
 ずっと分かりませんでした。どうすればいいのか。つくってつくっても、どれだけ考えてみてもわからない。



 今、僕の前には大きな壁が立ちはだかっています。壁といってもよくわからないと思いますが、

僕の服作り、デザインなどにおける壁です。表現における理想のようなものです。

その壁はこれまでもずっと、遠くの方に見えてはいましたが、とうとう目の前に来てしまったといったかんじです。

こういった壁は人それぞれあるものだと思います。

何だか厨二くせえ。 

 ただひとつ感じることは、この壁に立ち向かうことなくして、次はないということです。 

 越えないことには次に進めないということです。 一皮むけていくには必要なのです。





 そろそろ本格的に次のコレクションに取り掛かる時期がきました。

そこで、去年の11月あたりからかコツコツ考えたデザインを並べてみたのです。。

特にテーマとかは設けないで、今までやってきたことをベースにしながら、もっと


着やすくて、扱いやすくて、かわいくて。。。などなどとにかく着る人の目線に立って立って
取り組んでみました。 自分なりに研究してこんな服着て歩いてる人は素敵だなあと思う
服を素直にたくさん考えてみました。
もちろんまわりの女の子たちの意見もできるだけたくさん聞いて、色々デザインしてみたのです。

で、改めて見てみて、思いました。

うん、いいかんじ。かわいらしい。着やすそうだし、冬もあったかそうだし。
なんとなく僕の服っぽいし、僕が女だったらこういう服を買うんじゃないかしら。 

そして、上の内容と同時に感じていること。

それだけでいいのか?おまえそれで満足か?そこには正論しかないじゃないか。
甘いんだよこのうんこやろう。

ここでいう正論とは、世の中、はたまた僕自身が培ってきた良い服、可愛い服における正論です。
もちろん正論は大事です。正論は基本でもありますです。 
たけど、僕は正論ばかり偉そうに、ドヤ顔で語る人間にはなりたくないと思っています。
それは思考停止のおバカさんであり、ある意味卑怯だからだ。

ファッションでいう正論を理解しつつ、隙を見つけては壊していくのもデザイナーの仕事です。
なぜなら今ある何かを破壊する、という行為は人間の本質でもあるからです。
本能的に求めているものだからです。
そしてそれぞれが何かを発見していくのです。

ずっと越える方法すらわからず遠くに見えていた大きな壁をこれから相手にしなければいけません。ひとつひとつのデザインを満足いくまでやり直します。
描いて描いてつくってつくって何度も何度もやってやります。

ファッションだとか、商品だとか、あーだこーだ考えるのをとりあえずやめます。 
そういうのはこれまで培ってきた本能にまかせます。スタッフも頼りますよ。
とにかく満足いくまでチャレンジします。

これはもはや理屈ではないのだ。理屈では越えられない壁なのだ。とてもぶあつい壁なのだ。
理屈で越えられない場合は本能でいくしかありません。考えることをやめるのだ。

僕の心もここにきて最高にあつい。なぜだかあつい。不思議。
この壁の向こう側にある世界にいくのだ。
そこには今まで見ることができなかった僕の服が必ずあるのは分かっている。

今僕の目の前にある次のコレクション用のデザイン。とりあえずぐちゃぐちゃにしてやる。
絶対に勝ち取るのだ。 つきやぶっていくしかないのだ。 次の服に進むのだ。

自由であることを楽しみます。