2011年7月25日月曜日

開放感

 

昨日は朝から11-12AWの服たちの撮影に行ってきました。行ってきましたが、
まさか昨日行くことになるとはまったく思っていませんでした。
これから撮影をしに行くのだと決断するほんの直前まで行く気なんてまったくありませんでした。

服の撮影にはモデルが必要で、カメラを撮る人が必要で、メイクをする人が必要で、
服もたくさん必要で、荷物の量や場所にもよりますが、いざ野外での撮影となると車も必要で、
それぞれのスケジュールも調整しなくてはなりません。ひとりじゃできないのです。

また、事情あって撮影は今月中にしなければならず、
他にもたくさんやらなければいけないことがあり、僕自身少々混乱していました。

どういったかんじで撮影するのかというのは決まっていたのですが、
肝心の場所がなかなか見つからず、もうなんというか、ぶっちゃけ撮影がおっくうでした。

そんな中、昨日は仕事の後、土曜日ということもあり怖い話、不思議な話
(みんなオカルトとかが好きなのです)をするというのでスタッフの家に遊びに行きました。

みんなが怖い話をするのを横目に、どうにも仕事のことが頭をはなれず、
みんなが楽しんでいる中であまり良いことではないと感じつつも、
ネットで撮影場所を探していました。

そして明け方になり、ようやく「これはっ!」となった今回の撮影場所をみつけたのです。
でも遠い。大体新宿から2時間くらいかかる。 うーむ。。でもいいかんじだ。どうしよう。
なーんかもう時間ないしその辺のスタジオかなんかで無難なかんじに撮っちまえばいいのかなー
なんてと思いつつ、
あいかわらずうそくさい怖い話をしているスタッフのザキエリとヒロちゃんにその公園を見せてみて、
どうすんべかなあと聞いてみたところ、そろいもそろって

「今から行っちまおーぜ!」

という返事が返ってきました。もう始発が走り始める時間だ。
なんとなくあきらめかけて、あいかわらず撮影に関して話が進まないままモヤモヤした気分のまま、
外は明るくなってきたのでそろそろ寝る時間かなと思っていました。 そんな中での
まさかまさかのこれから撮影案。モデルはエリンコがやる。
ヒロちゃはメイクが得意とのこと。カメラは俺が撮ればいいか。何気にみんなひま。
今日は日曜日ですよ。

よっしゃ行くか。モヤモヤが一気に吹き飛びました。
そんなかんなで朝から撮影に行ったのです。
なんだかよくわかりませんがこのかんじ、とてもとてもいいなと思いました。
体は一日仕事した後で、さらに怖い話もした後で、さらにそのまま撮影という大仕事。
みんなくたくたのはずでしたが、そんなの関係ありません。
それ以上にすがすがしい開放感がそこにはありました。


 

2011年7月20日水曜日

翼のある服

 先日男6匹で長野の山奥にキャンプに行ってきました。

 岩魚を釣り、ご飯もおいしく頂き、運よく星空のようなたくさんのホタルを見ることもできました。












 さあ、気持ちを次のコレクションへと向けていきます。


テーマはずっと前から決まっていました。「翼」です。 翼のある服たち。

このコレクションでは展示会前に撮影をし、ブックのようなものをつくり具体的なイメージとして
発表したいと思います。

僕たちはこの夏に自分を描き命を燃やします。

これまで各々見てきたもの、聴いてきたもの、経験してきたこと、感じてきたこと、
感動してきたこと、そういったものに力をもらいながら、ひたすら考えつくるのです。
自分の空をとぶのです。

なんだかその人が前向きな何かを受け取れること。それがその人の空であります。
そして、それぞれの飛び方次第でいくらでも出来上がってくるものは変化します。

テーマがあり、それを表現しようとする人があり、各々の人生のタイミングがあり、
各々の時々の表現があり、葛藤があり、そして、やがて着る人があり、見る人があり、
それぞれの好みがあり、笑顔がある。

そして、それらは移り変わっていくものであり、不変なものなど何一つない。
よって今の段階では明確な答えなどありません。
人間だからこその不明確さ、曖昧さ。計算しづらく、とても扱いにくいものかもしえませんが、
どうしても僕はそういうのに惹かれてしまいます。絶対に大切にします。

経験上なんとなくいえることは、それぞれが丁寧に前向きに取り組み、
それぞれが持つそういった不明確なものたちが深く絡み合ったものは、
有無をいわさず素晴らしいものになることが多い。

雨 雲 虹 星 空 無限大

奇跡は気持ちである。どれだけ前向きかである。どれだけ各々自分の空をとべるかです。
やっぱり夏はわくわくします。

最高の一瞬を描きます。


  

2011年7月3日日曜日

青空

 

100年後について考えてみました。

100年後がどんな世界かなんてあんまり興味はありませんが、
今生きているほとんどが死んでいるのは確かです。

僕はもちろん、テレビに映ってる芸能人やきれいな女の子とかも、好きなスポーツ選手も、
さっきマックでた楽しそうに騒いでた子供たちも、その辺を歩いてるおっちゃんおばちゃん兄ちゃん女子高生犬も猫も親も友達もむかつくヤツもみんなみんな全部死んでいる。

今、一生懸命つくっている服も100年後にも存在しているものはどれだけあるのだろうか。
建物もそうだ。会社とかもそうだ。たくさんの人間のつくりあげたものもほとんどが100年後には
なくなっているだろう。





みんな死んだ後の世界。誰も僕のことを知らないであろう世界。僕にとっては、誰もいない世界。

一見、すごく悲しいことのように感じるけど、
不思議なことに僕にはそれがとてもポジティブなことのように思います。

”100年後はみんないないのだ”ということが、谷底とか海底とかの怖い無の世界ではなく、
青空のような澄み切った”無”のように感じるのです。
おそらくそれが自然の流れだからなのでしょう。

そして、未来にある、その青空は今の僕を自由にしてくれます。

死んでから自由の空にいくのではなくひたすら自由の空をとんでそのまま自由の空で
死んでやろうと思います。どうせそのうち消えるなら、それが恥ずかしいものだろうが
ひたすら自分の絵を描いて生きていこうと思うのです。

さらに、ひたすら描いて描いて、死んだ後に消しきれずに100年後も200年後も1000年後も
残ってしまうようなものもできてしまったら、それはそれで最高なことであり、
そうありたいと思います。

本当にその気にさえなれればどうにかなる世の中ですし、それは何よりも楽しいことです。

初夏の匂いに色とりどりの懐かしさを感じているのがあなたなのであり、
とにかく、できるだけ自分の空をとぶべきだと思うのです。