2012年11月28日水曜日

今のオレは今だけ




来年の1月に、大阪のどこかではるかきみへ13SSの展示会をやろうと思います。
東京と同じく、僕もいっしょに昔の服たちもたくさん並べておきます。お近くの方は是非!

ただ、いかんせん会場などはこれから探しますので、詳細はもう少しお待ちください。
今のところ決まっているのは、やろうという予定のみです。
関西は土地勘がなくちょこっと不安でありんす。







先日、すでにcollectionページで掲載済みですが、はるかきみへ13SSのイメージ撮影をしました。


今回の撮影は、カメラのお父さん(中島さん)、おっさん(僕)、最近酔っぱらい女(モデルえりんこ)、

女の子(スタイリスト&アクセサリー夢佳ちゃん)、女子高生(モデルたりほたりーほ)。

年代もいい具合に色々。みんなそれぞれの時間の流れにいます。

みんな共通しているのは、はるかきみへをなんとなく好きでいてくれていること。

とてもありがたいですね。


そんな普段別々な人たちがいっしょになって一生懸命の結果、

どうにかこうにかそれぞれのその時の色を捉えることができました。


それぞれのその時の色とは。

無常無常。すべては無常みんな無常ということです。


幸か不幸か、誰しも個人差はあれ心も見た目も移り変わり、

ひとつのものに対する感じ方は年齢によって異なってしまうものです。

だから、10代、20代、30代、40代・・・と、同じ人間であってもその魂は同じではありません。

たとえば僕なんかは、おおざっぱにこんなかんじかな?

高校時代 : やる気ないだらしない金髪クソ野郎 
大学、専門学生時代 : やる気はあるけどだらしないセンスがないクソ野郎
最近  :やる気がからまわりしてるだらしないクソ野郎

だらしないクソ野郎であることは今も昔も変わらないみたいですね。


当然っちゃ当然ですが、表現においても同じです。

たとえば写真家なら写真、スタイリストなら服に対し、それぞれ何かしら心踊るものを感じ、
そいつをもっと知りたい、そいつで何かやりたい、そいつで世の中社会に対し表現するんだ、と
それぞれの職業についています。

優れた表現者のその表現は無常であります。そのスタイルは様々ですが、
表現手段を磨いていく中で絶えず自分を見つめ、社会を見つめ、喜びと葛藤の中、
明日の表現を探しつづけるものです。

日々せわしなく、時間の流れは想像以上にはやく、色々と理想に追いつかないこともあったりと、
どうにもこうにも焦ってしまい見失いがちになってしまいますが、
じつはじつはじつは、
その時、その時期のあなたはその時だけなのであります。

だから、いち表現者として今の大切さをもっと意識しなければいけない。
または、そういう生き方をしなければ。今のオレは今だけなんだよ。
そんなかけがえのなさを作品としてしっかり残しつづけていければ、そしてそれを伝えていければ、
オレはオッケーなのだ!!。

出来上がった画像を眺めては、そんなことを考えていました.
今回の撮影に関わっていただいた皆様、本当にありがとうございました!

まじありがとうございました!

あと、何の気なしにさりげなく昨日、はるかきみへのツイッターをはじめたので
よろしくお願いします。

今を大切にしながらつぶやきますなう。



2012年11月11日日曜日

オレらは孤独だぜ



マックとかでコーヒー飲みながら人を観察してると、ほんと色々な人がいるなと思う。

とりあえずぱっと見渡すだけでも、
普通のサラリーマン、学生、女子高生、小学生、ホームレスっぽいおっちゃん、
ひたすら体揺らしエアギターしてるアツいバンドマン風のおっさん、  何かの撮影前で、
急いでメイクしてるモデルさん、  プロっぽいバイオリン演奏者の綺麗なお姉さんもいた。

ちなみにコレクション前の僕は身だしなみどころではなく、コンタクトではなくほぼメガネで、
いつも以上に適当な身なりになるので、おそらく人生にくたびれたかんじのちょっとダメな、
チャリで動き回ってる、なぜだか女の服の絵を描いているきもおっさんに見られているだろう。
多分デザイナーだとは思われるわけがない。しったこっちゃない。

それぞれちがう環境で育ち、ひとりひとり世界の見え方はめちゃくちゃ違うんだろうなといつも思う。
たとえば僕の服に対する見え方、感じ方もそれぞれ異なる。おんなじ人間なのに。
それはやっぱりなんだかすごいことだなと感じます。

だが、目の前に人がたくさんいるからといって、それぞれの世界が交差できるわけではない。
基本、それを垣間見ることも難しい。
どうあがこうが、僕の前を通り過ぎるほとんどすべての人たちの世界をみることもなければ、
僕の世界を見せることも不可能なのだろう。

人間は人間という曖昧な枠の中でそれぞれ曖昧に異なる世界があり、
時には自分以外の人間の世界を垣間見たり、共有したりします。
大体みんなさみしがりやなのです。

だから、僕もできることならたくさんの人の世界と交差したい。昔からそう感じています。
たくさんの世界と交差したいといっても、別にだれかと直接交流しまくりたいわけではないですよ。

普段、僕はひとりですごしていることが多く、遊ぶにしてもだれかとどこかに行くのではなく、
マイペースにひとりで気が向いた時にどこかにでかけるってかんじが好きで、 ほとんど服ばっか
でそれ以外はどうでもよく地味に生きていますが、

なんだかんだでさみしがりやです。それはなぜか。

だれかの世界に感動する。だれかに自分の世界を見てもらい何かを感じていただく。
ということをいつも求めているからです。
だから、さみしいのは本能だ。
さみしいから表現するのかもしれない。
孤独の中でこそ人間の世界は育まれるのです。

同じ空間、時間軸に生きてるけど、違う世界に生きてる人たち。これから僕は服を通し、
そういう人たちに出会い、心にほんの少しでも交わることがあるのかと思うとすごい楽しくなる。
ワクワクするのである。表現することの喜びのひとつである。

心は宇宙である、と書きましたが、心は宇宙のようにとらえられることがある。   
宇宙はよくわからない。よくわからないから怖い。真っ暗だから不安だ。 孤独だ。さみしい。

だから無数に輝く星があり、銀河がある。銀河鉄道も走っているかもしれない。
楽しくなってきたと思いきや、とんでもブラックホールもある。それは人間の心そのもので、
宇宙と心のイメージは大体みんな共通です。
そしてそれぞれそんなかんじに孤独なのであり、さみしいのである。

今、僕は撮影直前(あと一週間だぜ)。直前のくせして、
これから想い思い重いスーパードレス×2着&狂った帽子10個位&ブラウスワンピ1着ずつ
&その他の服の仕上げに取り掛かる。

これは終わるわけがない。でもつくりたいデザインを思い付いちゃったんだからしょうがないべ。
無茶なんだから、つくらないという選択肢もある。でも、今つくらなければ、
これから撮影されるであろうその写真は生まれないことになる。絶対後悔する。
何としてもつくるのだ、やりとげるのだ。

つうかブログ書いてる場合じゃないだろクソよこた。
まにあわないではない。行けるところまで行くのだ。それが我が道なり。

さびしいからだれかといっしょにすごすのではなく、
さびしいから我が孤独をどこかだれかの心にとどけるのだ。

俺は今死ぬほど服をつくっている。幸せだうんこ。